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『名刀と日本人』

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『名刀と日本人』 渡邉妙子 2012/12 名刀と日本人: 刀がつなぐ日本史  著者は佐野美術館館長。 名刀として伝えられている日本刀の来歴などをまとめた本。  日本ではタタラ製錬で作られたケラ(鉄塊)を元に、刀が作られた。炭素量が多いので、折り返し鍛錬をしていくと炭素が抜けて(脱炭)柔らかくなる。さらに折り返し鍛錬を続けると、今度は炭素が鉄に浸炭して硬くなる。日本刀の大きな特徴は軟らかいということだと述べる。  日本では古くから誕生・元服・結婚などの儀式に太刀を贈る事が行われてきた。三代将軍徳川家光の世継ぎ誕生でも多くの名刀が贈られた事が記録されている。しかも平安から鎌倉時代の名工の手による傑作揃いである。脇指には名工来国次(らいくにつぐ)の作が多く贈られている。  織田信長・豊臣秀次が切腹に使ったのが、鎌倉時代の名工粟田口吉光の短刀。江戸時代の武家の婚儀には吉光の短刀が最上の引き出物とされた。現在では「名物〇〇藤四郎」などと呼ばれる。慣習として「吉光」を付けない。後藤藤四郎、大森藤四郎、信濃藤四郎などがある。信長が使ったのは「名物薬研藤四郎」。松永久秀から贈られた。その前は畠山政長が所有していた。  名刀の由来などの記録は、八代将軍吉宗の命によって、本阿弥光忠(13代当主)がまとめた『享保名物帳』に残っている。9代目本阿弥光徳は信長や秀吉に仕えた。日本刀鑑定家の家系。  信長が所有した有名な刀に「義元左文字(さもんじ)」がある。今川義元が桶狭間で討ち取られたときに腰に差していた刀。その後秀吉、家康が所有する。しかし明暦の大火(1657年)で江戸城が焼け、多くの名刀とともに焼けてしまった。その後左文字は焼き直しされ現在に至っている。  焼けるということでは、大坂城が夏の陣で焼けた時にも多くの名刀が災禍に遭っている。


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