寺山修司さんの『ポケットに名言を』という本を読んだので紹介しておきます。
寺山修司さんは、1935年12月10日に青森県に生まれ、1983年5月4日にお亡くなりになっています。
こんな顔の人でした。↓
詩人であり、劇作家で、演劇実験室「天井桟敷」の主催者でした。
<略歴>
1969年(昭和44年)
カルメン・マキ「時には母のない子のように」の作詞を手がける。
1970年(昭和45年)
3月24日、漫画『あしたのジョー』の登場人物、力石徹の葬儀で葬儀委員長を務める。
1971年(昭和46年)
『書を捨てよ、町へ出よう』で劇映画に進出。サンレモ映画祭でグランプリを獲得。
ベオグラード国際演劇祭で『邪宗門』がグランプリ受賞。
1974年(昭和49年)
映画『田園に死す』が公開され、文化庁芸術祭奨励新人賞、芸術選奨新人賞を受賞。
1975年(昭和50年)
杉並区内で上演された市街劇『ノック』が住民の通報により警察沙汰となる。
1983年(昭和58年)
河北総合病院に肝硬変のため入院。
腹膜炎を併発し、敗血症で死去。
波瀾万丈の人生を歩んでいらっしゃいます。 ちなみに、『PSYCHO-PASS』(サイコパス)というアニメの第5話(「誰も知らないあなたの顔」)の中で、以下のようなセリフが出てきます。 「ねぇ君、寺山修司を読んだことは?
読むといい。
『戯曲・さらば、映画よ』
みんな誰かの代理人なんだそうだ。
代理人達が、さらにアバターを使ってコミュニケーションを代理させている。」 『ポケットに名言を』には、色々と知らなかった事を知るキッカケが詰まっています。 「ねぇ君、寺山修司を読んだことは?
読むといい。
『ポケットに名言を』。
パロディ化されている作品の元ネタを知る事ができるかもしれない。」
以下に、印象に残った文章を転記しておきます。
Page6
そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらい朝めし前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の傷手を癒すための薬に。
Page7
学生だった私にとっての、最初の「名言」は、井伏鱒二の
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
という詩であった。
Page14
「お前はもういざこざの外にいるんだ。お前にとって大切なものは何もない」
(ピアニストを撃て)
Page18
「全く最低に汚ねぇ・・・」
(勝手にしやがれ)
Page26
「とすると、レコードを一つ掛ける程の時間ですな」
「何だって、何の話だね」
「私だけの話です」
(アスファルト・ジャングル)
Page66
幸福とは幸福をさがすことである。
――私はこのルナアルの言葉を、高等学校の便所の落書のなかで発見したのだ。
Page67
「どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。それは僕にまかして下さい」
アンドレ・レニエ「半ばの真実」
Page93
崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。
三島由紀夫「禁色」
Page93
未練がましいことをしているとは思わないで下さい。私は復讐がしたいのだ。
シラー「旅」
Page95
ああ、復活の前に死があるね。
ロマン・ロラン
Page113
女性というものは愛されるためにあるのであって、理解されるためにあるのではない。
オスカー・ワイルド「語録」
Page114
あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。
ヘンリー・ミラー「北回帰線」
Page118
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そしてかなしくうたふもの
帰るところにあるまじや
室生犀星
Page121
私には、忘れてしまったものが一杯ある。だが、私はそれらを「捨てて来た」のでは決してない。忘れることもまた、愛することだという気がするのである。
Page136
彼が自分自身になまける権利を与えるためには、その白紙の原稿用紙の上に、蠅が一匹とまるだけで十分だった。そうすると彼は書くのをやめた――。
蠅の邪魔をしてはいけない、と思って。
ジュール・ルナアル「博物誌」
Page154
もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種をまくだろう。
ゲオルグ・ゲオルギウ
Page184
「名言」などは、所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだということを知るべきだろう。
【送料無料】美輪明宏が語る寺山修司 [ 寺山修司 ] |
カルメン・マキ「時には母のない子のように」の作詞を手がける。
1970年(昭和45年)
3月24日、漫画『あしたのジョー』の登場人物、力石徹の葬儀で葬儀委員長を務める。
1971年(昭和46年)
『書を捨てよ、町へ出よう』で劇映画に進出。サンレモ映画祭でグランプリを獲得。
ベオグラード国際演劇祭で『邪宗門』がグランプリ受賞。
1974年(昭和49年)
映画『田園に死す』が公開され、文化庁芸術祭奨励新人賞、芸術選奨新人賞を受賞。
1975年(昭和50年)
杉並区内で上演された市街劇『ノック』が住民の通報により警察沙汰となる。
1983年(昭和58年)
河北総合病院に肝硬変のため入院。
腹膜炎を併発し、敗血症で死去。
波瀾万丈の人生を歩んでいらっしゃいます。 ちなみに、『PSYCHO-PASS』(サイコパス)というアニメの第5話(「誰も知らないあなたの顔」)の中で、以下のようなセリフが出てきます。 「ねぇ君、寺山修司を読んだことは?
読むといい。
『戯曲・さらば、映画よ』
みんな誰かの代理人なんだそうだ。
代理人達が、さらにアバターを使ってコミュニケーションを代理させている。」 『ポケットに名言を』には、色々と知らなかった事を知るキッカケが詰まっています。 「ねぇ君、寺山修司を読んだことは?
読むといい。
『ポケットに名言を』。
パロディ化されている作品の元ネタを知る事ができるかもしれない。」
【送料無料】ポケットに名言を改版 [ 寺山修司 ] |
そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらい朝めし前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の傷手を癒すための薬に。
Page7
学生だった私にとっての、最初の「名言」は、井伏鱒二の
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
という詩であった。
Page14
「お前はもういざこざの外にいるんだ。お前にとって大切なものは何もない」
(ピアニストを撃て)
Page18
「全く最低に汚ねぇ・・・」
(勝手にしやがれ)
Page26
「とすると、レコードを一つ掛ける程の時間ですな」
「何だって、何の話だね」
「私だけの話です」
(アスファルト・ジャングル)
Page66
幸福とは幸福をさがすことである。
――私はこのルナアルの言葉を、高等学校の便所の落書のなかで発見したのだ。
Page67
「どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。それは僕にまかして下さい」
アンドレ・レニエ「半ばの真実」
Page93
崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。
三島由紀夫「禁色」
Page93
未練がましいことをしているとは思わないで下さい。私は復讐がしたいのだ。
シラー「旅」
Page95
ああ、復活の前に死があるね。
ロマン・ロラン
Page113
女性というものは愛されるためにあるのであって、理解されるためにあるのではない。
オスカー・ワイルド「語録」
Page114
あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。
ヘンリー・ミラー「北回帰線」
Page118
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そしてかなしくうたふもの
帰るところにあるまじや
室生犀星
Page121
私には、忘れてしまったものが一杯ある。だが、私はそれらを「捨てて来た」のでは決してない。忘れることもまた、愛することだという気がするのである。
Page136
彼が自分自身になまける権利を与えるためには、その白紙の原稿用紙の上に、蠅が一匹とまるだけで十分だった。そうすると彼は書くのをやめた――。
蠅の邪魔をしてはいけない、と思って。
ジュール・ルナアル「博物誌」
Page154
もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種をまくだろう。
ゲオルグ・ゲオルギウ
Page184
「名言」などは、所詮、シャツでも着るように軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく、といった態のものだということを知るべきだろう。