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『短歌』編集部編「鑑賞日本の名歌」を読んで

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IMG_2464.JPG 照る日曇る日第616回&バガテル-そんな私のここだけの話op.170 本書の末尾に大辻隆弘氏が選ばれた短歌が二首並んでいて、複雑な感慨を呼ぶ。 子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え 俵万智 逃げないんですかどうして? 下唇を噛む(ふりをする)炎昼のあり 高木佳子 なにせ史上前例のない大きな原発事故である。事情さえ許せば、誰だって逃げ出したいに決まっている。私はこの災害と死の脅威から逃れるために「西へ西へ」と脱出した人のことをとやかくいおうとは思わないが、それ以上に、諸般の事情やみずからの信念において現地にとどまった人、とりわけ「東からやって来た人」のことを長く記憶に留めておきたいと望むのである。 福島で原発事故が起きた時、当然多くの外国人が来日を取りやめたが、なかには私の大好きなジェーン・バーキンやシンディ・ローパーのように、万難を排して震災直後のわが国にやって来てコンサートを開いたり、激励のメッセージを私たちに伝えてくれた勇気あるミュージシャンもいた。 当時原発事故の様子は、本邦よりも西欧諸国のメディアのほうがより深刻に報道されていたはずだから、「万難を排して」というのは単なる形容詞ではなく、彼らは恐らく文字通りみずからの生命の危険を賭して飛んできたに違いないのである。 実際ジェーン・バーキンが乗り込んだ成田行きのエアフランス機には、彼女以外の乗客は一人もいなかったそうであるが、この便がパリに戻るときには大勢の乗客で満席だったはずで、その中には本邦を逃げ出そうとする日本人もいたに違いない。 なぜジェーンがそういう命懸けの向う見ずな行為に及んだのかは私にはよく分からないが、思うに彼女は愛する日本人のことが心配で心配で仕方が無かったのではないだろうか。テレビで第一報に接してすぐにシャルル・ドゴール空港に向かおうとする異邦人の心の底には、日本人と自分を同一視し、この最大の苦難の時をともにしたいという国境を超えた同胞愛のようなものが点滅していたに違いない。 「朋あり遠方より来たる」と孔子は言うたが、同胞からおのれを切断する悲愴な決意を固めて西に飛んだ友人の代わりに、新しい東方の友人を迎えた人たちは、百万の味方を得た思いで「楽しからずや」だったのではなかろうか。    ただひとりバーキン乗せてエアフラは放射能の島に舞い降りたり  蝶人

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