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コルシカ:帆走
日常のストレスから逃れるために、短い休暇を取ってコルシカ地方で帆走することに決めた。この頃のペーターは世界中のオペラハウスやその他諸々に求められて実際完全に旅から旅への生活を送っていた。チャーターしたヨットが待っているコートダジュールのアンティーブへ大急ぎで向かったとき、マンハイム州立劇場の拍手はまだ鳴り止まず、パルジファルの最後の契約仕事はまだ終わっていなかった。一行は、私たちとペーターの昔の学校とスポーツ仲間だったアクセル、ゲラルド、ワルターだった。兄と私はこの帆走はすばらしい思いつきだと思っていた。私たち5人の海は未経験の陸者たちは何も知らなかった。そして、世界周航の旅でもないのに、予想外の冒険が私たちを待っていたのだった。私たちが快適なクルージングを予約するほうが好きなわけを、みなさんはこれから知る事になる。
私たち5人は、ペーターのパルジファル公演の後、2台のスピードの出る車で夜通し走ってフランス国境へと突進した。何度かスピード違反をしたせいで、何フランか巻き上げられたが、早朝にはコートダジュールの美しいアンティーブに到着した。
何と言う気分か!ついさっきはどんよりしたマンハイムにいたのに、今はロマンチックなフランスの漁村の温暖な気候の中にいるのだ。最初に見つけたカフェで美味しい食前酒と一緒に海の空気を楽しんだ。
来るべき日のために真剣に話し合うなんてことは論外だった。私たちは最初の学校旅行でばかげたことをしでかす生徒みたいだった。学校の教師のアクセルが一緒だったから、そういう気分になるにはぴったりだった。「海賊船はどこだ」というのがペーターの一番の関心事だった。
ゆったりと十分な朝食をとった後、船員用の荷物袋を担いで、アンティーブの港へチャーターしておいた2本マストのヨットを捜しに向かった。この時の朝食が、私たち5人にとって、この先数日間の最後のまともな食事になろうとは夢にも思っていなかった。
私たちは美しい2本マストのヨットを見つけた。船長のアンドレが待っていた。狭い船室に入ると、フランス語しか話せない船長とはコミュニケーションに問題があることが、すぐにわかった。私たちはフランス語はほとんど駄目だったから、身振り手振りで話し、私は通訳の役割をある程度果たした。アンドレの最初の質問は、どこへ向かうかということだった。ちょっと相談して、地中海の美しい島、コルシカを目的地とすることに決まった。そこで、真剣に叫んだ。「出航、いかりをあげろ!」
我らが船長によるヨット操縦に関する多岐にわたる説明の後、私たちは暖かい太陽を心行くまで楽しんだ。常に海岸が視界に入っていたコートダジュールに沿って、小さな漁村の港に錨をおろすまでの初日の最初の行程はおよそ10キロに過ぎなかった。ダルムシュタット出身のワルター”提督”の短い辛口コメントはこうだった。「私のポルシェなら、この距離は5分もかからない」
もちろん彼は提督ではなかったが、身長2メートルの彼はものすごく立派に見えた。だから、私たちは彼を提督閣下と呼んでいた。実際は、この帆走の旅の間ほとんど船主の船室にいて読書三昧だった。
船長とコックのアンドレによる最初の夕食、ほんの少しのサラダとこちこちのバゲットという相当つつましい夕食に、私たちはなんだかがっかりして、改善を望んだ。全く安くない船旅のフランス料理には、何かもっと違うものを想像していたからだ。夜は暖かく、穏やかに、静かに、船は、コルシカに向かっていた。
突如酷い状態になったとき、何人かはもう寝ていた。午前4時ごろだったと思う。私は舵を取っていた。その時、船首の上に白いしぶきが激しく叩き付けているのに気がついた。あっという間に甲板は波に洗われ。14メートルのヨットは1メートルを超える波に翻弄された。もはや誰も眠ってはいられなかった。私たちは、その直後不愉快な短波放送で知った、コルシカ方面の悪名高い嵐の中に突っ込んでいた。
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