今年の夏も懸賞小説落選で終わりました。今は秋の応募に向けて苦しんでいます。
そんな時に、藤圭子さん自殺の報を耳にしました。もう既に世間からは忘れ去られていた人です。私も忘れていたし、思い出すこともありませんでした。
特別ファンだったわけでも無いし、私の記憶の片隅に残っているだけの人・・・だけど、もうこの世にいないのだと思うと、無性に惜しくなってしまいました。勝手なものです。
改めて、ネットで動画を探して聴きました。どれも聞き覚えのある唄ばかり。
ああ、こんな唄を歌っていた人なんだと、今更ながら感じるものがありました。
藤圭子さんの歌に、「怨み節」というキャッチコピーがあり、商業ベースに乗せられた虚構であることは理解していますし、実像はまた別と言うこともわかります。
だけど、その表現力の凄味には、どこか遠くにある「怨み」を感じてしまいます。
結婚もし、娘は大学を卒業して母を凌ぐほどの歌手になろうとしている。離婚はしたけど、それほど悪い人生とは思えない。
自殺と怨み・・・・増大する他者と自分への怨み・・・・理由のわからない怨み・・・・・もしかしたら誰でもそんな暗闇を抱えているのかも知れません。
その怨みを自分に向ければ自殺・・・・社会や他者に向ければ、反社会的な行動や、犯罪となります。
生きていく希望や夢が無くなった、絶望した・・・等々、理由はいくらでも考えることが出来ます。
でも、その底流に横たわっているもの、流れているもの・・・それは怨みという、得体の知れない怪物かも知れません。
怨みは、色々と姿形を変えるような気がします。
充分に幸せに生きていくことが出来る材料は揃っていたのに・・・・残念です。円熟した藤圭子さんの唄が聴きたかった。
正真正銘の日本のブルースシンガーです。
ご冥福をお祈りしますとかの言葉はいいません。そんな言葉で済ませたくありません。
悔しいのでしょう。聴けば聞くほど、悔しくなります。
今日も訳の分からないことばかり・・・・・