<神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。(10節)>
解説書は「パウロは、最初に50~51年頃にコリントに滞在し、エルサレムに戻った後53~54年頃にコリント書Ⅰを書いた。コリント書Ⅱは、パウロが書いた複数の手紙が後に一つの手紙になったと考えられる。2章で「涙の手紙」と言われるものは、10~13章だと思われる。」と記している。
パウロが書き送った手紙は、嘆きや悲しみと共に叱責とも取れる言葉もあった。そのことを「あなたがたに対して溢れるほど抱いている愛を知ってもらうためです」と書き加えているものの、内心では「わたしの身には安らぎがなく、外には戦い、内には恐れがあった」と告白している。
パウロの宣教旅行に同行した彼のよき理解者テトスは、コリントの教会にパウロの代理としてたびたび訪れ、教会の問題にあたっていた。この「涙の手紙」もテトスの手によって届けられ、皆の前で読み上げられたことだろう。パウロは一刻も早くテトスに会って彼らの様子を聞きたいと思った。
テトスは、彼らから自分自身が大いに慰めを受けたことを告げると共に、彼らがパウロを慕い、パウロのために嘆き悲しみ、パウロに対して熱心であると報告した。パウロはテトスのためにもまた、コリントの信徒たちの揺るぎのない信仰についても喜びをもって神に感謝した。
そして「あの手紙によって、あなたがたを悲しませたとしても、私は後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことを知っています。たとえ後悔したとしても今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悔い改めたからです。」と記している。
先日電車を待っていたら、横に立つ若い女性のバックが開いたままなのが目に入った。「開いたままですよ」と言うと「知ってます」と言われてしまった。お節介なことをしてしまったと後悔し、もう二度と若い人には関わるまいと思った。けれども、開いたままのバックを持つのはレディらしくないといつか彼女が気づいてくれたら、お節介も無駄ではないのかもしれないと思い直した。
パウロはテトスの報告によって、パウロの手紙は彼らに悲しみを与えたがそれは、「救いに通じる悔い改め」を生じさせたことを思った。
解説書は「『救い』は神が、罪や悪の諸力から人間を自由にするために働かれる。その働きは今、現在に至るも続いている。パウロにとって『世』は神に反するあらゆるものを指すことがある。」と記している。
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