今更、舟を編むを読んでみました。確かに女の人が書いているなぁというのが分かる作品。初出の雑誌がCLASSY.っていうのも少し頷ける。本屋大賞ってのも、分かりやすい作品が多いよなぁ。実質一週間くらいで読めました。なかなかいい作品。
映画化とかした気がしたんだけど忘れた。内容は出てからしばらく経っていて、大体知っていると思うので、それ前提で簡単に感想。 辞書作りというどマイナーな事柄を扱った作品。別の人だけど図書館戦争の時は目の付け所が違うなと図書館司書資格を持つものとして思っていましたが、今度は辞書ってスゴすぎる。しかも、きちんと飽きさせずに引っ張る力もある。これぞ直木賞作家の力なのか? そもそも、小説には参考文献とか引用文献などは、物語のオリジナル性からして使う事はそれほどないのですが、学術論文ほどではないにしても、参考文献の出典が巻末にたくさん書いてありました。かなり、取材はしたという事は聞いていたのですが、下調べも半端ない感じ。 やっぱり、芥川賞よりも直木賞の方が将来芽が出る作家が多いってのは本当ですね。というか芥川賞は石原慎太郎程度のポルノ小説家が獲れるくらいだから、正直めだちゃいい的なところが多分にあるんだよね。美少女女子高生小説家だとか、過激入れ墨ピアス女流小説家だとか、ファンキーおばーちゃん小説家だとか、多分に人物自体にも話題性を求めている事が多い。 ともあれ、三浦しをんさんはなかなか売れっ子らしく、私でも他の作品も名前を聞いた事があるくらいです。本来ならそういう人の作品ってのはそれほど読まない。そもそも読書家ではないので、量読むタイプではなくて、好きな分野があるわけでもない。強いて言うなら、コンピュータ関係の技術書が好きなので、全然小説じゃない。 それほど文体が優れているわけでも、奇をてらった文体でもなかった。基本、内容勝負って所は非常に評価できる。この本は大渡海という中型辞書を作るというお話で、辞書を作り始める端緒からは15年かかっているという設定でした。一冊作り上げるのに15年も要るのかよ、という気持ちと、15年程度で出来るのかよ、という思いがあり、読み始めた頃は、読むのがちょっとしんどくなりそうだなと感じていました。 確かに辞書を作るのに必要な技術とか散々出てくるものの、個性のある編集者達のおかげですんなりと読めました。この本を1/3にして、辞書を作るだけのエッセンスにしてしまったら、読むのは逆にもう少し時間がかかったんじゃないかと思います。基本的に馬締(まじめ)が中心になって物語は展開していくのですが、周りの人達が馬締を巻き込んだり巻き込まれていく感じで、飽きないで読む事が出来ました。大体の本って途中で飽きてくるんだよね。本当に飽きっぽい性格だとは思うけど、本が面白いかどうかはその進捗具合によると言ってもいい。 馬締と同じ編集者に、西岡と岸辺が出てくるのだが、ふたりの馬締への思いがなかなかいい。馬締はある意味変人なのだが、その辞書を作成するポテンシャルの高さはどちらも認めている。だけど納得出来ない点が二人とも別々にある。どちらも馬締に始めにあった時は、辞書の作成には少し斜めを向いている感じで、馬締を見る事で自分の立ち位置を確認していくところが見物だろう。全く違う人だからこそ、自らを再認識する鏡となりえたのは面白い。 西岡は辞書作りには不適切なほどチャラいし、岸辺はファッション雑誌の編集にいたぐらいに、服などに金をつぎ込むような普通の女子だ。だけど、仕事と言う前提があるにしても、辞書作りに染まっていくのは面白い。誰もが自分の出来る事で頑張って仕事をしているんだよなぁ。 世の中に辞書を編纂する人間はたくさんいなくても良いけれども、いなくては成立しない世界というのもあるのだな、と感心する。仕事をしていても、ソフトウェア業界ではこの人はいなくても一向に構わないけど、この人が欠けたら成り立たなくなるよなぁというキーマンは結構いたりして、そういうマトモな人がいないとデスマーチに突入する可能性が高くなる。やはり、その仕事に対する適性というかポテンシャルみたいなものは大事だ。平均的な技術の人間が揃っているのも人月計算的には大事な事かもしれないけど、主要なところに出来る人間が一人いるかいないかで随分余裕が違ってくるもんですね。多くを語らなくても大体の要求を満たしてくれる仕事をする人は好き。グダグダ言う前に物を出せと。 本の中でも語られる事だが、スペシャリストというのはわりと普通の事が分かってなかったりして、一般の人が使うものなのに、高い知識を必要としてしまうような事をやってしまうと売り物にならない。そのくらいならまだいいけど、勘違いして間違った事をしてしまうとフォローするに出来ない時がある。 SE/PGの世界にはまったく英語が出来ない人が多くいて、家電製品などのプロダクトを見ていると、暗澹たる思いになる時がある。昔に買ったDVDの表示には起動するとWELLCOMEと表示されて、中学生レベルの単語もスペリング出来ないのかよ、と笑うに笑えなかった。他にもパレンタルなんとかっていうのがあって、パレンタルって何かなとしばらくの間悩んでいたんだけど、意味合いからしてペアレンタル(parental)だったのでした。パレンタルなんて読み方、中学生レベル以下じゃねぇ? モンスターペアレントをモンスターパレントなんていうヤツ見た事ねーし。 それぐらい、ソフトウェア技術者の中には英語が出来ない奴が多い。同じ仕事場で英語の本を読んでいる人がいたけど、ずーっとその本を読んでいて、そんな本読みの進捗だったら一生英語出来ないよ、って言ってやりたかった。そんな本読むなら、直にRFCとかの技術文書を読んだ方がよっぽど身になるよね。 ってまた脱線。突出したものを作るには、スペシャリストとジェネラリストが共存しないとダメってことだ。一人で相備えていれば言う事はないのだけれど、なかなかそういうわけにはいかない。だから、スペシャリストを真ん中に据えて、一般的な常識を多く持っている人が間違いや歪さをモディファイしていかないといけないわけだ。 「舟を編む」という題にも意味合いがあるわけだが、大渡海で言葉の海を進む、というニュアンスらしい。それと最後の方まで読むと、その装丁の意味が分かる。凝ってますなぁと言わざるを得ない。でも、辞書の紙質のぬめり感まで出された時には、マニアックすぎるだろ、と思わないでもなかった。とはいえ、辞書の紙質は他の書籍とはかなり違ったものである事が分かって面白かった。 大体の世界はメディアが発達したため知っている事も多いが、わりと身近なものがこんな風にして出来ている、というのを見るのは面白い。シルシルミシルとかのテレビ番組が面白いのと一緒の事で、やっぱり人間は新しい事を知るという欲求が元からあるのだろうなと感じずにはいられない。 それにしても、辞書の話だからか、あんまり使わない言葉を使う傾向にあるな。鷹揚とか普通使わないし。あといくつか辞書を引かないと正確な意味がわからない言葉も出てくるのだが、それはあえて辞書を引かせるためなんだろうか。とはいえ、最近はiPhoneとMacOSXの辞書しかまともに引いてない。↧