『悪について』
中島義道(ドイツ哲学)
岩波新書(2005)
私がはなはだしい違和感を覚えるのは、
こうした残虐な事件について語る
レポーターやニュースキャスターやコメンテーターたちの
鈍感きわまるふるまいである。
カントの義務四種:
自分への完全義務(自殺すべきではない
他人への完全義務(偽りの約束をすべきではない
自分への不完全義務(より完全になるべき
他人への不完全義務(他人に親切にすべき
道徳は内容ではなく形式にある
自己愛にもとづく行為は道徳的ではない
僧侶の苦行は熱狂的な贖罪
☆☆☆☆☆
カント倫理学の考察。
自己愛による行為は道徳的に悪い行為と
万人がすべて同じ判断を下すということはないだろう。
嘘をついて友人の命を助ける行為は
自己愛の動機で非適法的行為を実現した。
これは承認できるであろうというが、
これもなぜ自己愛と断定できるのか?
道徳的な人とは、適法的行為とは何かを問いつづける人であるというが、
問い続けて人もたくさん殺す人は道徳的ではないし、
そもそも道徳的な行為はあっても道徳的な人間は存在せず、
これは人が自由であり意志を持つという幻想が生み出した議論であり、
問い続ける人間は道徳的人間ではなく哲学的人間にすぎない。
・今日の一言(本文より、新約聖書)
Meanwhile these three remain: faith, hope, and love; and the greatest of these is love.
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
그러므로 믿음과 희망과 사랑, 이 세 가지는 언제까지나 남아 있을 것입니다. 이 중에서 가장 위대한 것은 사랑입니다.
如今常存的有信,有望,有爱这三样,其中最大的是爱。
『後悔と自責の哲学』
中島義道(ドイツ哲学)
河出文庫(2009)
自由とは、みずから実現したある過去の意図的行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」という信念とともに生じてくる。
カント:
われわれは自由をそれ自体としては認識できず、
道徳法則を通じてはじめて認識できる。
気づかなかったことを後悔する
スピノザは偶然も自由も認めない
カントは自由は認めるが偶然は認めない
目的と偶然の関係
そのときの選択が不思議なほど重みをもって感じられるとき運命と呼ぶ
運命は特別な偶然
偶然に不可欠な二種類の同一のものの確定。元寇なら台風と外国の侵略
後悔を運命で癒す
哲学は誰もが知っていながら隠していることを言葉にする
大崎:
作家に資質があるとすればそれは孤独に耐える力ではないか。
☆☆☆☆☆
苦しむ人に同情してはいけないというが、
特別な人を無理に聖化するのも変だ。
これに自責を感じるのは病的。
ただふつうにふるまえばよいだけ。
『差別感情の哲学』
中島義道(ドイツ哲学)
講談社(2009)
差別感情は人間存在の豊かさの宝庫
差別でなく区別だという人はそれが自然と言いたがる
差別と闘う最大の的は考えないこと
カントの問い。
神はいるのか?
われわれは自由であるのか?
魂は不死であるのか?
差別感情の強い人とは社会感情にそって人を嫌うことの強い人
魔女を憎んだのは教会ではなく一般民衆
占いや運勢に左右される人は差別感情の強い人になりやすい
パーレシアは、みずからを危険にさらしながらも、
あえて他人の好まないことがらを隠さず直言する。
真実を語る
神の声を聞いて息子を殺そうとしたアブラハムとヒトラーは何が違うのか?
普通を求めすぎることが差別の温床
☆☆☆☆☆
差別感情を露出する人間は単に表現調整力がないだけで
内心は一般人と変わらず、
マナー以上に人格まで批判するべきではないというのは同意。
国や民族や故郷や家族や出身校を
ごく自然に愛するところに差別感情の萌芽があるとし
人が自分の属する集団を愛し、
かつその集団が社会的上位集団であるとき、
差別感情を撒き散らすことになるというが、
これでは何かを愛することが差別というに等しい。
差別を感じる側に問題がある
現代日本に限ってみれば、
差別は今後ますます微妙なもの、
陰湿なものになるだろうというが、
見事に外れたようだ。
まさか大通りで公言されるようになるとは……
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悪について(岩波新書)
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