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コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章11~21節

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<だから、キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。(17節)> 「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」と4章8節でパウロは熱く語って行く。「私たちには、到底そのような強さはないと考えがちですが、パウロは、それは『キリストの栄光に関する福音の光』が見えなくなっているためなのだと語ります。」と南牧師は書き出されている。 4章6節「『闇から光が輝きでよ』と命じられた神は、私たちの心のうちに輝いて、イエス・キリストの、御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さいました。」とパウロはコリントの信徒たちを力づける。パウロ自身、幾多の艱難の中で主の常識を覆す偉大な力を実感していた。 しかし、それよりも偉大な力を実感させられるのは主イエスの復活であった。そのような力を持つお方が「イエスと共に私たちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせて下さるとわたしは知っています。」と断言するパウロの力強い復活信仰が語られてゆく。 キリスト教の核心をついて行くパウロの言葉が続くが、言葉は理解できてもそれがストンと自分の中に入って行くには時間がかかる。 私の町内のK会長は手際も良く評判の良い人だといつも感心していた。ある日隣家のAさんが、Kさんはある信仰を持つ人で、その信仰によると人のため奉仕しているとKさんの来世、また遺された子孫は必ず幸福になると教えられているのでKさんがあんなによく働くのだと言った。 それを聞いていて、ふと自分が信じている宗教はそのようなことをどう教えているのだろうかと考えてみた。「千の風に・・・」の歌はおかしいとある牧師は説教で言われていたし、うちの教会の牧師は死ぬときに持っていくものなんてないでしょと常々言われている。 ここで南牧師は「復活は地上の延長ではない。神の再創造の御業なのです」と説かれている。パウロは「主イエスが全ての人のために死んで下さった以上、全ての人が死んだことになります。」と言い切っている。 そしてそのことは同時に「このキリストの復活に結ばれて私たちの復活が起こります」と南牧師は断言され、復活した者は単に再生されたというだけではなく、新しい目的を与えられて生きるのですと続けられている。 強欲でそのくせ卑屈な心を持つ古い自分は死んでしまったらしい、だからもうそういうことに拘らなくていい。洗礼をさかいに神の子にふさわしく生きることができる者に既にされているらしい。


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