内容紹介夏休みである。里帰りしてこの週末を過ごしたが、その間にも何冊かの本を持って来て、暇さえあると少しずつではあるが読み進めた。この本もそんな中の1冊である。 僕がこんなテーマを語ることはおこがましいが、3回の外国生活でうち2回は現地で剣道の稽古に参加した経験者としては考えるところもあるテーマだ。先ず、そもそも剣道人口がゼロの国を訪れた場合、どうやったら剣道は普及していけるのか、自分の稽古場所をどう確保していけるのかというのが1つ。次に、仮にかろうじて剣道をやっている現地の人がいた場合、どうしたらその活動が持続可能なものとなっていくのか。僕らが稽古に参加してお手本を示せるのはせいぜい2年か3年の間だけであり、自分の後任で来る人が同様に剣道経験者である保証もない中で、自分が離れた後の自立発展をどう確保するのか。 本書では、ニューヨーク(米国)、ハンガリー、インドネシア、オーストリア、アラスカ(米国)に長く住んで、その国の剣道の普及と発展に大きく貢献した日本の先生の体験談が紹介されている。それも、先駆者になると1970年代に渡航しておられるので本当に草分け的な方もいらっしゃるし、1990年代に青年海外協力隊員として東欧での剣道指導に当たられたという方もいらっしゃる。個人的に存じ上げている方はいらっしゃらないが、中1人ぐらいで繋がっている可能性の高い先生方である。ましてや、本書で登場する阿部哲史先生が長年指導されてきたハンガリーは、2012年の世界選手権イタリア大会でベスト4に残るという好成績を収められており、その意味からも阿部先生の執筆された2つの章の重みは格別だと思われる。 中でも、阿部先生の書き下ろしである付章「欧州から見た剣道の国際化」は、米国とインドで剣道に触れた経験からも、首肯できる部分がかなりあった。 第1に、阿部先生は欧州の中でも西欧と東欧の比較から、特に東欧新興国の剣道の発展の仕方について次のような特徴があると述べているが、これはインドで自分が見たもの、それに、中南米で剣道を指導されたご経験のある僕の知人から聞いたことともかなり共通するところが大きいように思う。
『月刊剣道日本』誌上で好評を博した連載「異国にて」の中からピックアップして再編集。海外に住んで初めて剣道の「先生」になり、それぞれの国の住人となってしまった若き剣士たち5人が綴る、葛藤、奮闘、発見、そして歓び。言葉の壁、文化の壁に悪戦苦闘しながら、やがて世界への剣道普及について、さらには剣道の本質について考え始める。新たな視点からの剣道論、日本人論として興味深く読める一冊。
◎内部抗争が激しく、お互い妥協をしないので分裂が多い。残念ながら、全インド剣道連盟(Kendo India)なる組織はそんな感じだった。元々剣道の指導者が1人しかいなかったところから始まっているので内部抗争にまでは発展していないが、Kendo Indiaで剣道をかじった輩がやがて独立して指導者を名乗り始めるのは時間の問題であるような気がしてならない。僕は稽古相手が欲しくてコンタクトを試みたわけだが、その後の展開を振り返ってみると、外部の権威として僕も利用されたと感じざるを得ない。全日本剣道連盟の先生から接触は慎重にするよう警告メールを頂戴したのも、今となってみれば理解できなくもない。 第2に、阿部先生は今後の欧州剣道の社会的地位の向上を図る具体的なアプローチとして、「生涯スポーツという概念の普及が大切」だと述べておられる(p.236)。これは米国で僕が見てきた幾つかの道場ではかなり普及が進んでいるように見受けられる概念だが、実際問題として世界選手権を1つの頂点として位置付けられている以上、競技スポーツとしての剣道の方が重視され、競技者としての発展余地が少なくなってくると「引退」に帰結してしまうというのは50歳の僕にとっては残念なことだ。歳を重ね、経験を重ねるにつれてわかってくることもあるのだが、そういうのが感覚的に理解されにくいところでは、一線を退くことは「ユニフォーム(道着)を脱ぐこと」に繋がる。誤解を恐れずに言うなら、柔道は国際化を進めるにつれてその競技性が強調され、生涯スポーツとしての柔道は言われなくなってしまった。僕が東京で通っている道場では、そこで少年時代から稽古してきた人が成人しても街に残り、高段者になって後進の指導に当たられるという形で、世代交代ができている。欧州はまだそこまでの歴史と伝統がないという点は意外ではあったが、納得できる部分も大きかった。 第3に、阿部先生は日本からの指導員の派遣体制を提言されている。
◎対外的な交流で自己主張が誇大。問題が起きても責任は取らない。
◎他国の剣道連盟や大使館など外部の権力をむやみに利用したがる。
◎趣味、文化的な嗜好よりも、剣道で生計を立てることを目的とする。
(以上、p.235)
周知のように、ヨーロッパは日本からの技術指導者、それと現地で指導にあたる日本人指導者の連携によって技術的な発展を遂げてきました。そのなかでも、全日本剣道連盟が継続して行なっている指導員派遣は、世界剣道の発展に計り知れない貢献をしています。それ以外にも、個人的な友好関係を基盤に、いわばボランティア活動として海外の愛好者に剣道の技術指導を施してきた人々もいます。さらに最近では、外務省の直轄組織である国際協力事業団(注:現在の国際協力機構(JICA))が青年海外協力隊として剣道コーチの派遣をしています。東ヨーロッパと南米の限られた地域ではありますが、確実に成果を挙げているようです。その上で、阿部先生は、自身の協力隊員としての経験も踏まえて、協力隊を通じた指導員派遣についての問題点を指摘しておられる。それは、派遣される隊員が国際的な剣道の潮流に関して知識不足だという点である(pp.244-245)。そうした情報を豊富に持っているのは全剣連で、協力隊事務局、ひいてはJICA自体が、世界の剣道の潮流に関する情報を事前提供できていない、両者の間に、綿密な連携体制が取れていないという。 僕は青年海外協力隊員として途上国で剣道の指導に当たられた経験をお持ちの方を何人か存じ上げているが、確かに隊員個々人のレベルでこのような大所高所の議論に加わっていくのは大変なのではないかと感じるところもあった。かといって、隊員の派遣元であるJICAが、剣道の普及ということについて一家言あるとも思えない。阿部先生が連携体制の強化の必要性を説いておられるのはわからぬでもないが、実際問題として、全剣連に連携の意欲があったとしても、JICAの方にはそんな受け皿はないのではないかと感じる。 それに、剣道隊員が派遣されている途上国といったら、阿部先生が指摘しておられる東欧の剣道の問題点と共通した特徴を持つところが多い。国際的な潮流も大事だが、そういう魑魅魍魎の跋扈する途上国で、いかに立ち回るのがその国の剣道の発展に最も適するのかは、やはり途上国での剣道普及にゼロから携わった隊員の方々の経験自体から学んでいかねばならないのではないかと思う。 そういう意味では、本書は物足りない。ハンガリーやインドネシアを途上国と言うのには正直抵抗がある。逆に、国際剣道連盟の加盟基準すら満たしていないような国で、本当にゼロから剣道を根付かせたアフリカ某国での剣道普及のお話とか、中南米のドミニカ共和国やエクアドル、パナマ等の国々での協力隊員、シニア海外ボランティアの奮闘のお話とかを、ちゃんと記録した本書の第二弾があってもいいのではないかと僕は思う。 本書は2006年の世界剣道選手権大会(台湾)で日本男子チームが準決勝で米国に不覚をとり、初めて王者の座から陥落した直後に刊行されている。次の世界選手権は2015年に東京で開催される。その時に向けて、改めて剣道の世界的普及に果たした協力隊員やシニア海外ボランティアの貢献に光を当てた第二弾が出版されることを、僕は強く期待したい。
ところが、21世紀の剣道国際化を考えた場合、この三者、つまり全日本剣道連盟、個人、青年海外協力隊が個別に活動する現在の体制は、普及の基本方針が曖昧になるばかりでなく、国際的な剣道界自体の順調な発展の妨げになる恐れもあると私は感じています。(p.243)