川上弘美 著 / 幻冬舎文庫
「好きになるということは、好きになると決めること」母性より女性を匂わせる母と、売れない春画を描く義父に育てられた姉妹ユリエとマリエ。温かく濃密な毎日の果てに、二人はそれぞれの愛を見つける。高校教師になった妹マリエは教え子のミドリ子の兄と恋に落ちるが、ミドリ子の愛人は母の恋人だった…。数十頁 読んで、そのまま 物語に入ってゆけず、積読のままになっていて 『 光ってみえるもの、あれは』 を読了し、それではと もう一度 開いてみた。 本の紹介文は、それで 間違いはないのだが、分かりやすい印象は うすく 川上さんの 初期の作品らしく、捉えどころのない世界が、ひろがっていた。 いとしい、という言葉を 調べてみると 1. かわいく思うさま。恋しく慕わしい。 2. かわいそうだ。ふびんだ。 とある。 いとしい に、かわいそうだ。ふびんだ。 という意味があるとは、知らなった。 意味としては 違うのだろうが、この物語に出てくる人々は、誰かを 想っていて その 想っている様を、かわいそう、ふびん だと描いているように 感じた。 好きだ、愛しい、という 華々しい感情から、一歩、道を 踏み外してしまえば たちまち それは単なる、執着となってしまう。 執着の中にある、嫉妬やら 哀しみやら、みじめさやら、そういうものから 自制的であろうとする人々とは、対照的に 描かれているように 思えた 鈴本鈴朗という人物が、今になって くっきりと 浮かび上がってきた。 ミドリ子に、偏愛的な想いを寄せる 彼には、読んでいる 最中、その執着ぶりに こちらも怪訝な 気もちにさせられたのだが、真っ直ぐな想いを あわらにしている 様は、暴走ともとれるが、妙に すがすがしくもとれる。 すがすがしい 一面もあるが、やはり それは痛々しさであり、読んでいて、彼も その苦しみから 本当は解放されたいのでは ないだろうか、と ふと考えた。 人を想うことは、煌びやかで華々しい気もちに満ちるのと 同じくらい、深く昏い 得体の知れない かなしみが、影のように ひつこく 付きまとってくるもんだと 物語を 読了して、そんなことを 今 思う。 ミドリ子が、餌に群がる鳥たちに言う、「もういいのよう。」 もういいのよう。 私は、この本の中で、ここが クライマックスのように思えた。 そして、たった一言で、小説全体を 統括してしまえるのだなと、 そのことに 妙に 感心した。