子供の頃、ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』を胸躍らせて読みました。こちらは、16人のオッサンの漂流記です。明治32年の話ですから今から100年以上前の話ですが、読んで違和感はありません。無人島で自然相手に徒手空拳で生き抜く漂流記は、時代を越えて感動を呼びます。
東京高等商船学校の実習学生の作者(須川邦彦)が、教官の体験談を聞き書きの形をとっています。本書は、この教官であり難破船・龍睡丸の船長・中川倉吉が語る漂流物語です。
明治31年12月28日、3本マストの海洋調査船(といっても乗組員16人、800トンの)龍睡丸が、小笠原諸島方面の漁業の調査のため東京から出航します。龍睡丸は、翌年の1月17日に新鳥島付近で嵐に遭遇し、ハワイで修理を終え日本に引き返す途上でまたも嵐に会い遭難します。暗礁に乗り上げた船を捨て、5月20日に上陸したのは
島の面積は、四千坪(約百三十二アール)ぐらいです。北の方に、一町(約百十メートル)も砂浜つづきの、小さな出島があります。出島は、三百坪(約十アール)もありましょうか。そこには、ヘヤシール(小型のアザラシ)が、三十頭ぐらい、ごろごろしていました。
という島です。4000坪というと、100m四方より少し大きい程度の島ともいえない「礁」です。同年9月4日には救出されますから、この島での4ヶ月の漂流生活を描いたのが本書です。
この物語は、昭和16年~昭和17年にかけて「少年倶楽部」に連載され、昭和18年単行本として発刊されています。昭和16年は、日本が太平洋戦争に突入した年です。そうした時代背景のもとで、本書は、「軍国少年」を対象に書かれた冒険譚であることは、押さえておいたほうがいいでしょう。
4ヶ月とはいえ、漂流は漂流、限られた道具で知恵を働かせて16人が生き抜きます。
乗組員は「いずれも一つぶよりの海の勇士」。船長の「私」の他、十何年も遠洋漁業の経験のある「運転士」(多分航海士)、漁業には深い経験のある漁夫出身者の「漁業長」(漁労長)、人なみはずれた腕まえを持ちながらも温厚な「水夫長」を中心に、総勢16名。この中には、水産講習所出身の2名の練習生、「小笠原島の帰化人が3名」が含まれます。「帰化人」とは、小笠原が日本領土となる前から小笠原に住んでいた「欧米系島民」だそうです。本書でも、漂流中に彼等から英語会話をならったり、英文で記したSOSを海に流したりしています。
物語にあるように、この16人が仲よく力を合わせて難局を乗り切ったかはなはだ疑問です。時には諍いや喧嘩もあったでしょう。そういうところは、サラッとかわして「海国日本の男」の勇気と団結を誇示するあたりは、「軍国少年」向けと言えなくもないです。ですが、船長はじめ16人の生きる姿はなかなか前向きです。船長が決めた方針は、
一つ、島で手にはいるもので、くらして行く。二つ、できない相談をいわないこと。三つ、規律正しい生活をすること。四つ、愉快な生活を心がけること。
そのまま普段の生活で実行してもいいくらいですね。16人はこの島で数年でも暮らす覚悟で生活を始めます。流木で小屋を建て、火を起こし、雨水を貯めて飲水を確保し、魚を釣り、海鳥の卵を採って食料とします。ここまでは、漂流の定番ですが、面白かったのは、海ガメの牧場です。アオウミガメの肉は、美味しいらしいです。生け簀を作って飼うんですね。
辛い味の草を見付けてワサビの代用として刺し身を食べ、近くの島で発見した草ブドウを野菜の代用にして健康を維持します。
表現の問題だとは思うのですが、サバイバルという雰囲気ではなく、キャンプの延長のようです。極めつけは、アザラシを手なづけてペットにすることでしょう。普通なら、アザラシを食用とするのでしょうが、もっと深い企みがあります。病人が出た場合、肝を薬として使うために、アザラシを飼いならすわけです。この辺りは、衣の下から鎧が覗くようで、漂流の厳しさをチラと覗かせます。
気が緩むと懐郷病(国のことを思って、たまらなくなる病気)にとりつかれます。このままこの島で朽ち果てるのかという弱気が、病気を引き起こし、人間関係に摩擦を引き起こします。船長は、16人が引余計なこと考えないように、次から次へと仕事を作り課題を与えて引っ張ってゆきます。ゆとりができると、練習生や若い水夫や漁師のために「無人島教室」まで開講します。小笠原出身の「帰化人」から英会話や作文まで習います。「無人島教室」の教師は、先輩や「帰化人」だけではありません。彼等はまた自然からも多くを学んだようです。アホウドリは、代わる代わる群れの見張りに立ち、乗組員が戯れに縛り上げた縄をクチバシで切って仲間を救ける姿に感動したりします。
偶然に通りかかった、それも日本の船に助けられ、16人は明治32年12月23日に故国の地を踏みます。
一人一人の、力はよわい。ちえもたりない。しかし、一人一人のま心としんけんな努力とを、十六集めた一かたまりは、ほんとに強い、はかり知れない底力のあるものだった。それでわれらは、この島で、りっぱに、ほがらかに、ただの一日もいやな思いをしないで、おたがいの生活が、少しでも進歩し、少しでもよくなるように、心がけてくらすことができたのだ。
出来すぎた話です。4ヶ月の漂流とはいえ、そんなに前向きに生きられるものだろうかと思うのですが、ここはひとつ、漂流記の語り手中川倉吉船長の言葉を信じましょう。われわれもまた、人生という大海で漂流しているようなものですから。
一つ、(島で)手にはいるもので、くらして行く。二つ、できない相談をいわないこと。三つ、規律正しい生活をすること。四つ、愉快な生活を心がけること。