内容(「BOOK」データベースより)22年ぶりの再読だった『吉野朝太平記』シリーズ、遂に読み切った。ちょっと感動。 本来ならこのシリーズと並行して読んでいた時事ものを先にご紹介すべきだったのだが、先週末第4巻を読み切った後、つい勢いで第5巻も読み始めてしまい、さすがに週末だけでは足りなかったものの、その時事ものよりも先に読了した。 実は、22年前に初めて読んだ時のこととして、第4巻の第1回京都奪還作戦からの撤退までは辛うじて覚えていたが、第5巻の記憶が全くなかった。このあたりから南朝では重鎮・北畠親房が死に、北朝では将軍・足利尊氏が死に、河内・楠木党が身を捧げて戦ってきた後ろ盾と、最大のライバルを失う。南北朝の対立は建武の親政の頃を知らない世代に引き継がれ、その端境期に壮年期を迎えつつあった楠木正儀などは徐々に居場所を失っていく。病床の親房の影響力が低下して子の顕能に代替わりが進むにつれ、南朝と正儀の間には大きな溝が出来て正儀は立場を失うし、北朝方では鮮やかな計略によって自分たちを苦しめてきた楠木正儀という人物に対して一目置く雰囲気すら生まれてくる。 正儀の命に従って足利直冬、高師直、また直冬とその邸宅に乗り込み、その知性と淫靡さでターゲットの要人を虜にしてきた正儀の情婦・敷妙も歳を重ねるし、少年少女時代から正儀との関係が深かった敷妙の場合と異なり、その後舞台に登場してきた女性――お睦、小波、家姫らは、本意でもない男性のもとに送り込まれることを断固として拒否し、正儀のシナリオの大きな障害となっていく。 周囲の環境は徐々に自分の戦略に不利に傾いていき、南朝内では一見「やる気がない」と誹謗されようとも、それでも目標に掲げる「南北朝合一」に向けて働こうとする正儀の姿に、だんだん虚しさも高まる第5巻だった。第5巻では、前半、元々北朝に属していたが京都攻防戦の論功行賞で不満が大きかった山名時氏・師氏父子を南朝に取り込んで、京都再奪還を果たす。このあたりまでは正儀の戦略のきらめきを再び感じさせる。 しかし、後半は北畠親房の死が迫る中で、堺浦では1年以上にわたって帝塚山の赤松則祐とにらみ合いを続けていた足利直冬の軍が赤松勢の奇襲を受けて大敗を喫し、正儀の情報戦の一翼を担っていた唐土屋の持ち船は全焼し、唐土屋は全財産を失う。こうして河内・東条城への北朝方軍勢の圧力が徐々に高まりを見せる一方、南朝方では、北畠、四条など主だった公卿による評議で賀名生から吉野への動座が決まる。東条から近いが守備は効率的に行いやすい賀名生から、守備により多くの兵力を割かねばならない吉野への遷行は、正儀の対北朝工作をさらに難しくしてしまう。 やがて、東国に長期駐留していた足利尊氏の軍勢が、美濃・近江にいた足利義詮、佐々木道誉らに合流し、京都奪還への圧力を強め始めると、吉野もそれに晒されるようになりつつあり、正儀は最後の献策として、吉野朝廷の河内金剛山への移動を求める。金剛山は、楠木一族の本拠地である千早・赤坂の裏山で、金剛山一帯が一種の要塞で、守りやすいからだ。しかし、東条と金剛山での籠城が5年も続くと、さすがに食糧の備蓄も持たなくなる。供給を担っていた唐土屋も再建途上で機能せず、徐々に困窮の度を増す中、正儀は最後の手段として、病床の足利尊氏への直談判を決意し、自ら忍びとなって尊氏邸に潜入を試みる。しかし、肝心の尊氏はまさに息を引き取ろうとしており、直談判はならず、正儀は尊氏邸から撤退せざるを得なかった。 長い長い物語はこうして終わる。さすがに尻すぼみになって、最後は万策尽きて終幕を迎えた印象だ。 正儀の悲願である南北合一はこうして全5巻を読み切っても結局実現しなかった。なんだか策略は壮大だったが結果は何だったのかと問われるような終わり方で、当事者だった正儀にとっても「徒労」という言葉が脳裏にこびりついたに違いない。作者は最後に南北朝合一は正儀あってこそj実現したという言葉を残しているが、少し空しさを感じてしまった。
後醍醐天皇、楠正成、正行、大塔宮、高師直、足利直義はすでに他界。北畠親房、そして足利尊氏も死を迎えようとしていた…。NHK大河ドラマの舞台・複雑な権力抗争がうずまいた南北朝。その時代を背景に、目的のため手段を選ばず、時には北朝方の武将と手を結び、時には愛人を敵方に送りこむ楠正儀の南北朝合一に命をかけた生涯を描いた直木賞受賞の歴史大作、遂に完結。
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『吉野朝太平記』(5)
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