<しかし、ぺトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか考えて下さい。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(19.20節)> 神殿で説教するぺトロとヨハネに、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近付いて来た。彼らの任務は神殿の秩序を維持し、神殿を運営する規則が守られるようにすることだった。サドカイ派は日常生活で一番大切なのは、神殿に行き献げ物をすることだと教えていた。彼らは裕福なユダヤ人で祭司と密接な関係にあった。 大勢の人を前に自分たちの許可もなく、堂々と説教する二人を見て彼らはいら立ち、有無を言わせず二人を捕えて牢に入れた。 次の日、ユダヤの指導者がエルサレムに集まった。彼らは二人を真ん中に立たせ「お前たちは何の権威によって、誰の名によってああいうことをしたか」と尋問した。 「・・・彼が皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレ人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です」とぺトロは言った。 豪華な衣服を身にまとい、その豊かな知識によって人々から崇拝を受けているユダヤの指導者に向かって、簡素な布をまとっただけの漁師ぺトロが詩編を引用して答えた。 彼らは二人が主イエスの弟子であったこと、足を癒してもらった男がそこに立っていることを目の前に見ていたが、イエス・キリストがメシアであることを認めることは出来なかった。十字架に架けた犯罪人の名による救いなどあってはならないことだった。 けれども、この事実はすでに多くの人々に知れ渡っていた。彼らはこれ以上民衆の間に広まらないよう「今後あの名によって誰にも話すな」と二人に命じた。しかし、二人はそのようなことは決してできないとはっきりと拒んだ。 関わりを恐れ主イエスの弟子であることを三度否んだぺトロはここにはいない。「その時には教えられることを話せばよい。実は話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ」オリーブ山で終末の徴を予告された主イエスの御言葉は、聖霊の注ぎを予言されていた。
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