<パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。(30.31節)> ローマについて三日後、パウロはローマに住むユダヤ人社会の指導者たちを招いた。そして「兄弟たち、私は、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されました」と言った。 そして、エルサレムのユダヤ人たちに訴えられ、自分が皇帝に上訴せざるを得なかったが、決して彼ら同胞を告発するためではないことを知らせるために、皆さんをお招きしたと話した。彼らはパウロについてエルサレムからの報告は受け取っていないと言った。 そして自分たちは、ナザレのイエスを信じるパウロの考えていることを直積聞きたいと思っていると言った。 後日、大勢でやって来た彼らに、パウロは終日神の国について証し、律法や預言書を引用してイエスについて説き明かした。しかし、それを受け入れた者、信じられない者がいて彼らの中に意見が一致することはなかった。 「今日の箇所で使徒言行録は終わります。私たちはもっと先まで知りたいと思います。パウロの裁判はどうなったのかとか、イスパニア(スペイン)行の願いは叶えられたのかなど色々あります。その点では中途半端な感じも致します。 著者ルカが何らかの事情で中断せざるを得なかったのかもしれませんし、ある人たちが言うように、後に続く私たち自身がその宣教活動を引き継ぐための余地が残されているのかもしれません。 その点で、最後の「神の言葉を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」という言葉は極めて印象的ではないでしょうか。彼は囚人として「全く自由に何の妨げもなく」とは決して言えなかったはずですが、それはローマ帝国の囚人ではなくて、何よりも「キリスト・イエス」の囚人として生きたパウロの姿を良く映し出しているようにも思われます。」と南牧師は結ばれている。
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