<こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。(35.36節)> 14日目の夜、船員たちはどこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを計るため、重石をつけた綱を船から下ろしてみると20オルギィア(37㍍)、もう少し進んで計ると15オルギィア(27㍍)であった。 彼らは舟が暗礁に乗り上げることを恐れ、自分たちだけ小舟で逃げようとしたが、それを察したパウロが百人隊長や兵士に「彼らが船にいなければ、あなたがたは助からない」と言ったので、兵士たちは船員たちが乗り込む前に小舟の綱を断ち切った。 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「どうぞ、なにか食べて下さい」と言うと、主イエスが5つのパンと2匹の魚で5000人を養われた時のように、また最後の晩餐を暗示するように、神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。 すっかり明るくなると、砂浜のある入り江が人々の目に入った。錨を切り離し、舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて進んだ。人々の歓声が聞こえるようだ。しかし、思わぬ浅瀬に船首が乗り上げ、船尾は激しい波で壊れだした。 兵士たちは囚人たちが泳いで逃げることがあってはならないと、彼らを殺そうとした。しかし、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず泳ぎ、残りの者は板切れや乗組員につかまって泳いで行くように命じた。 全員が無事に上陸した。パウロは泳ぐことが出来たのだろうか。それにしても、船乗りになったこともない囚人パウロのいう言葉を人々が素直に信じ従ったのは、どういうことだろうか。 船はクレタ島のフェニクスをたってから、約965㌔を航海、または漂流し、当時ローマに支配されていたマルタ島に漂着した。 「人生はしばしば航海に例えられます。『太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶ』ような時もあります。望みが消え失せそうになる試練の時『主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか』と叫びたくなります。」と南牧師は説かれている。 主は、わたしたちの絶望を絶望のままにしておかれない。
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