拙生は呑気にそんな愛想なんぞを云うのでありました。「ところでお二鬼共、準娑婆省の方には行った事がおありなので?」 「私は前に一度、矢張りあの補佐官筆頭のお伴で、これも同じように或る亡者様の護衛で行った事がありますが、発羅津は今回が初めてになりますかね。なあ」 この最後の「なあ」は、発羅津玄喜氏の方に確認を求める「なあ」であります。 「ええ、私は初めてです。ちょっと楽しみです」 「今までに聞いてきた準娑婆省の印象は、未開な辺境の地で、風流を解さない荒けない鬼達が住む、危険な非文明国、いや非文明省と云ったものですが、実際はどうでしたか?」 拙生は逸茂厳記氏に訊くのでありました。 「そうですねえ、私が接した向うの鬼や霊達は、まあ、準娑婆省の吏人とかそれに準ずる連中だったからかも知れませんが、確かに個性に底の知れない不気味さは仄かに漂わせているものの、話しの全く判らない輩、と云った感じではありませんでしたねえ」 「しかしその吏人にしても、あの補佐官筆頭さんに、意地の悪い悪戯なんかをあれこれ仕かけてせせら笑ったり、とか云うような無粋な事をすると聞き及んでおりますが」 「そう云うところはありますが、しかし悪逆非道と云う感じはないのじゃありませんかね」 「まあ、補佐官筆頭さんの蒙った悪ふざけも、他愛もないと云えば他愛もない悪戯ですかな。それをして何か利益を得ようと云うタイプの、世知辛い印象は確かにないですかな」 拙生は何度かゆっくり頷きながら云うのでありました。 「ですから、こちらが隙を見せなければ、妙なちょっかいを出される事もないでしょう。しかしこれは、私が接した鬼や霊達の印象で、準娑婆省に住む一般の連中は、どうかは知りませんがね。今回の場合、亡者様は多分、準娑婆省の一般の霊や鬼達と接触する機会は全くありませんから、そう云う危惧を念頭に置く必要は取り敢えずないでしょうね」 「しかし私の娑婆に逆戻るための実際の差配は、準娑婆省の吏人があれこれ行うのでしょうから、そこで妙な悪戯心なんか起こされたりしたら、洒落にならないかと思いまして」 「まあ、私達や補佐官筆頭三鬼が、交渉の最初から実際の作業の完了までのどの局面に於いても、抜かりなく目を光らせておりますし、向うの妙な気配や了見、それに不謹慎な態度が少しでも仄見えたら、閻魔庁の威信にかけてそれを即座に糾弾し、正す事に全力を傾注したします。我々は貴方様が娑婆に無事に生還される最後の最後まで、ちゃんと草葉の陰から見守っておりますので、その点はどうぞご心配なさらずにいて頂いて結構ですよ」 逸茂厳記氏はそう云って、頼もしそうに自分の胸を叩くのでありました。 「ああそうですか。私のためにご苦労な事ですが、大いに頼りにしています」 逸茂厳記氏の意気は、まるで鬼が島に鬼退治に行く桃太郎のような感じでありました。まあ尤もこちらの場合、その桃太郎も鬼だと云う、何とも複雑な様相なのでありましたが。 港の出発ロビーまでは、閻魔庁の長い廊下を歩いて、建物を出る事なく到着するのでありました。到着ロビーの方は三途の川を渡って来た亡者達で大変混雑しているのでありましょうが、出発ロビーの方はと云うと閑散としていて、広い空間に整列している長椅子には人影、いや鬼影、或いは霊影は殆どないのでありました。ま、そりゃそうですかな。 (続)
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