<わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。(1節)>
「わたしたち」と書き出されているので、ルカもローマに送られる囚人パウロに同行することが許されたということなんだろうか。
ユダヤ総督から、皇帝直属の百人隊長に「引き渡された」という言葉を福音書では、主イエスを十字架の死に引き渡す意味で使われている。「その最初の引き渡しがここで始まります。パウロは主イエスの十字架の死に合わせられ、いわば十字架の死の道行が始まります。」と南牧師は説かれている。
ローマへ向かうパウロの旅は聖書巻末の地図によると、カイサリアからシドンに向かう。百人隊長がパウロを親切に扱い、シドンではパウロが友人たちのところに行ってもてなしを受けることを許してくれたと記されている。
シドンはカイサリアの北約113㌔にある港町。キプロス島が風除けになったと記されていることから、風は西から吹いていたらしい。キプロス島はシリア沿岸の西約161㌔、当時はローマ帝国の一部で、キプロスへのユダヤ人の移住は、BC2世紀半ばには始まっていた。
ミラの港で、エジプトからローマに穀物を運ぶアレクサンドリアの船に乗り換えた。それは276名も乗船できる大型船であった。しかし、船は強い逆風を受け、船足がはかどらず、幾日もかかってクニドスの港に着いた。
西暦40年、エンジンなんかのない時代、穀物をぎっしり積み、276人もの人間を乗せ帆柱を上げて進むローマが建造した大型の船はどんな風なんだろうか。映画で見た奴隷船のように船底で大勢の人が櫂を漕いでいるんだろうか。ローマの文化の高さに圧倒される。
船はようやくクレタ島の「良い港」と呼ばれる港に入った。断食日が過ぎていたというから、すでに10月に入っていたのかもしれない。地中海では9月中旬以降の航海は危険で11月中旬から3月中旬までは完全に運航は休止するのが常識であった。
パウロは人々にその危険さを忠告したが、百人隊長は船長や船主の言葉に従い、ここを出てクレタ島の南西にあるフェニクスに向けて出港することになった。
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