昨日、当該ブログで、天皇の年頭所感について記したが・・・、 船曳建夫によると、平成天皇は、大江健三郎や山口昌男と同じ仲間ということになる。俗な表現でいえば「同じ穴のムジナ」のようなもので・・・ ・・・などと、まちがって、こんな文章を記し、戦前の右翼に見られでもしたら、後ろ指どころか、アイクチで刺されることになるかもしれない。天皇陛下は、シモジモと異なり、はるか高いところにおわしますことになっている。俗なものと、同属に扱うなど許されないことであった。 その点、山口昌男も天皇を同属とはみなしていなかったことを、『天皇制の文化人類学』のなかで、記している。 「教育勅語を校長先生が小学校の奉安殿から御真影とともに取り出しうやうやしく奉戴し、読み上げるとき、厳かに下を向きながら拝聴しなくてはならないということは、一人の生徒としては怖い体験であった。私は、説明のつかないこの緊張の瞬間には、笑いを抑えるのが至難の業であった。至高のものが強要されるときには、笑いの衝動で均衡を保つという変わった癖を私は持っていた」 山口にとっても、天皇は同属などでは無論なく、天皇と天皇にまつわるものは、至高に属するモノであったということである。そして、そういう場面に直面すると、自ずと笑いがでてしまいそうになってコマッタのだという。 最近、ある方が舞台に立つときに、いつも笑顔がすばらしいので、そのことを褒めると、緊張のあまりそうなるだけで、無意味な笑いなのだと言っていたが、どうもソレと近似するもので、あるらしい。
上記書籍に、中沢新一のインタビューが出ている。朝日新聞(’13・3・12)に掲載した山口への追悼文に中沢は次のように記した。 「とにかくよく笑う人だった。とりわけアカデミズムの権威などを前にすると、ますますよく笑い、からかい、そのために相手を怒らせることもしばしばだった。笑う山口昌男のまわりで、世界はいつもダイナミックに揺れていた」 何年前になるだろう。NHKのETV50年記念番組で、ミヒャエル・エンデのインタビューが再放送された。その相手役は、山口である。「わたしは、ドイツ語ができないので」と前置きして、通訳を介してエンデと話しているのだが、番組中、終始山口の顔には笑みが浮かんでいた。 https://www.youtube.com/watch?v=NfZbgxoeyR8 山口は、偉そうな態度を取ることなく、だれとでも友達になってしまうような人だったようである。山口にとって、他者、世界のすべての事象が、自分より上の位置にある権威と見えたのかもしれない。それが、山口の笑いを生み、知的バイタリティーとなり、「文化人類学者」という肩書きを越えた縦横無尽の活動へ向かわせたのかもしれない。 つまり、山口は、天皇と同族どころか、誰とも、地球上のあらゆる事象とも同族ではなかったのかもしれない。もっと、低いレベルに属する、エイリアンのようなものと自らを感じていたのかもしれない。ほとんど、身についた性分としてそうであったのではないかという気がする。 ************ 赤塚不二夫さんのこと http://bookend.blog.so-net.ne.jp/2008-08-03-1↧