<イエスが宣教を始められた時はおよそ30歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、ソレカラサカノボルト、マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ…エニシュ、せと、アダム。そして神に至る。<23.24.38節)>
マルコによる福音書は「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のようにご自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が天から聞こえた。」と主イエスの洗礼が語られる。
主イエス洗礼のときに降った天の声「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」はマタイ、マルコ、ルカ福音書とも記されている。この箇所を説教で聞いた時「この御言葉は福音書を読むたび、心にいつも響いて聞こえます」と牧師が語られたのを思い出す。
終末が近いというのに、律法に従うことが出来ずに罪を重ね、ヨハネの洗礼によってその身を清めてもらおうと順番を待つ群衆に交じって、全く罪を持っておられない神の子イエスがその列に加わられた。
「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが私のところへ来られたのですか」と、畏れをもって言うヨハネに「今は、止めないでほしい…」と主イエスはお答えになった。そこで、ヨハネは主イエスの言われる通りにした。
洗礼を受けられ、主イエスが救い主としての活動を始められるにあたって、主イエスの系図が記される。ユダヤ人にとって家系は非常に重要なものであった。彼らは救い主がダビデの家系から出ると信じていた。マタイ書の1章はアブラハムで始まる系図だが、ルカ書はヨセフから始まって、アダムに遡り、最後は神に至る。
主イエスはヨセフの子、つまり一人の人間の子であると思われているが、実は神の子。主イエスはもともと神の子であるが、その神の子がアダムの子孫として人間となってこの世にお生まれになり、救いの御業を行われたのだと、著者ルカは伝えたかったのだろう。
主イエスに洗礼を授け、人々を悔い改めに導き洗礼を授けたパプテスマのヨハネは、他にもさまざまな勧めをして民衆に福音を告げ知らせた。しかし、ヘロデは自分の結婚について、また自分の行った事についてヨハネに責められたので、彼を牢に閉じ込めた。
天使からの祝福を受け、誕生が予告されたヨハネ、主イエス。父母の充分な愛のもと育っていただろうに、二人の人間としての生涯は間もなく終わる。主イエスは復活されるが、ヨハネが復活したという話はどこにもない。子どもを神に献げるとは何と辛いことか。
日曜日はお近くの教会で礼拝を http://www1.ocn.ne.jp/~church/japan.htm どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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