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マラキ書 2章17節~3章5節

<あなたたちは、自分の語る言葉によって、主を疲れさせている。それなのに、あなたたちは言う。どのように疲れさせたのですか、と。あなたたちが、悪を行う者は全て、主の目に良しとされるとか、主は彼らを喜ばれるとか、裁きの神はどこにおられるのか、などと、言うことによってである。(17節)> 「祭司たちは、まさか自分たちが語る言葉によって主を疲れさせているとは思いませんでした。ですから、『どのように疲れさせたのですか』と尋ねます。すると主は、彼らが『裁きの神などない。主は悪を行う者を良しとし、喜ばれる』などと言っており、それが主を疲れさせるのだと明らかにされました。」と小野寺牧師は説かれる。 今日は高齢で体に不自由を覚え、礼拝を守ることが出来ない教会員のクリスマスプレゼントに添えるカードに、お一人お一人を覚えメッセージを手分けして書いた。14日には、訪問をし、ご一緒に歌っていただける状態なら讃美歌を歌う。 施設で何年も過ごされている方が多く、受け取って下さる方の気持ちを思い、丁寧に考えているつもりでも、自己満足に陥るときがある。「ありがとう」といって下さるが、この押しつけがましい行為が、相手を疲れさせているのではないかと思う時がある。 80歳のHさんは一人住まいだが、ご長男夫婦が近くに住んでおられる。よく気がつくお嫁さんで、毎日電話で不足している物はないか、今日の予定はどうなのかと尋ねられるとのことだった。Hさんは「管理されてんのよ、何もかも」とぜいたくな愚痴をこぼされた。 祭司たちは精一杯主が喜んで下さることを行い、御言葉を文字も読めない人々へ説き、献げ物も怠らず正直に仕えていた。けれども、肝心の何かが欠けていたことを主が嘆かれている。私たちの奉仕も、祭司たちのそれに通じるものがある。 今日に続く明日があると単純に思い込んでいる。エルサレムのように簡単に崩壊しないと。それは「裁きの神はどこにおられるのか」と、昔あったことだし、これから起こるとしても、裁きはずっと先のことだろうと、高を括っている祭司と同列だ。 主は「見よ、わたしは使者を送る」と、主の道を備える使者と神殿に来る契約の使者を遣わすと告げられた。「彼は精錬するもの、銀を清める者として座し、レビの子らを清め、金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を、正しく献げるものとなるためである。」その時に、主を畏れない者は裁かれると告げられる。 「その後400年を経て、主の道を備える使者は洗礼者ヨハネにおいて実現し、また人々が求め、突然、神殿に来る契約の使者は、主イエス・キリストにおいて実現することになるのです。」と小野寺牧師は結ばれる。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://www1.ocn.ne.jp/~church/japan.htm どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。

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