万太郎は先ず花司馬筆頭教士の前に行って座礼するのでありました。それから威治教士に、その後に古株の巨漢と礼を交わすのでありました。 「折野さんは組む度に体の粘りは強くなるし、投げの鋭さは増すし、もう俺なんぞを相手にしても物足りないだろう? まあ、俺の方は上手い人と組むと爽快な稽古が出来るが」 すっかり顔馴染みになっている、目片吾利紀、と云う名前の古株の巨漢は、顔から滴る汗を稽古着の袖で頻りに拭いながら云うのでありました。別派とは云え自分の方が遥かに長い稽古歴を有するにも関わらず、目片が万太郎の事を、折野さん、と敬称つきで呼ぶのは、万太郎が興堂派の直弟子ではなく総本部の内弟子である事への憚りと云う面ばかりではなく、力量に於いても一目置くところがあるためでありましょうか。 「いやとんでもないです。僕なんか未だ々々目片さんの体を持て余すばかりです」 「俺は単に体重が重くて手足が太くて短いから扱いにくいと云うだけであって、折野さんの腰の粘りから来る重さはそれとはちょっと異質の重さだな」 「目片さんは失礼ながら見た目と違って体が柔らかいし動きに力みがないから、その体重以上に尚更重く感じるのです。体重の方は僕は見習えませんけど、体の柔らかさとか自分の体重以上に相手に重さを感じさせるような動きは是非見習いたいと思います」 「ま、古株に対する敬意として今の言葉は聞いて置くよ」 目片はそう云って大笑してから万太郎の前を去るのでありました。 「折野さん」 万太郎の後ろから宇津利の声がするのでありました。「今日は組んで稽古出来なかったけど、またその内よろしくお願いします」 正坐して律義らしくお辞儀する宇津利の前に万太郎も正坐するのでありました。 「ああ、お疲れ様でした」 「折野さんはモテモテだから、なかなか自分なんかと組んで貰えないですね」 「いや道分先生になるだけ色んな門下の人と組めと指示されているからね。でも見ていたらなかなか良い動きをするようになったじゃないか」 「え、見ていてくれたんですか?」 宇津利は少しばかり大袈裟に嬉しそうな顔をするのでありました。 「折々にチラと見ると云った程度だけど、足運びなんか大分様になってきた。ただ腕抑えの時の打ちこみが相手の正面からやや外れる時がある。それに奥襟落としの時の奥襟を掴むのと足払いのタイミングがもう少し上手くあえば、もっと技に鋭さが出るだろうな」 「アドバイス有難うございます。それにしても、折野さんは稽古中にはそんな暇もないと思っていたのに、自分なんかの稽古も時々見ていてくれたと云うのが、感激です」 宇津利はそう云ってもう一度丁寧に頭を下げるのでありました。 宇津利が前を去ると、万太郎はあゆみの姿を探すのでありました。あゆみは見所前で威治教士と二人で何やら話しをしているのでありました。 万太郎は近づいて行って少し離れた処に正坐するのでありました。別に二人の会話を邪魔するためではないのでありますが、まあ、邪魔する心算は、多少はありはしましたか。 (続)
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