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もうじやのたわむれ 302

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 補佐官筆頭が深刻顔で云うのでありました。 「ああそうですか」  拙生は落胆の口調でそう云った後、この期に於いてこんな気楽な風を気取っているのは、如何にも不謹慎な亡者だと思われるだろうなと、少し悔いるのでありました。 「では亡者様は早速、港の方へ行って待機して頂きます」  補佐官筆頭は拙生を文机後ろの扉の方に誘うのでありました。 「そちらのドアは閻魔大王官さんや補佐官さん達専用の審理室への出入口のようですが、私もそちらから退室して良いのですか?」 「ええ、結構です。緊急事態なのですから」 「ああそうですか。そう云う事であれば、それでは」  拙生はゆっくり椅子から立ち上がるのでありました。他の亡者ではそうそう立ち入りが叶わないであろう、閻魔庁職員専用の空間に足を踏み入れる事が出来るのを、拙生は内心、思い悩み中の観光に出かけた時同様、子供のように呑気に単純に嬉しがるのでありました。  補佐官筆頭はこれまで眉間に深い縦皺を寄せて陰鬱な表情で、あれこれ拙生が娑婆に逆戻る算段に真摯に奔走してくれているのでありましたが、しかし当の拙生の方はと云うと、己が今後の行く末にちっとも気を揉んだりなんかしておらずに、それどころか娑婆へ戻れる事を喜んですらいるのでありますから、慎に気の毒と云うべきか申しわけないと云うべきか、補佐官筆頭の骨折りもあんまり浮かばれない苦労と云うものでありますかなあ。香露木閻魔大王官の補佐についたのも、担当した亡者が拙生であった事も、全く彼の補佐官の災難でありました。拙生としては今後の補佐官筆頭の幸せを心から祈るのみであります。 「ほいじゃあ、亡者殿、元気で娑婆に生還されん事を文机の蔭から祈っておるぞい」  閻魔大王官が片目をつぶって片手を上げて、またもや悪戯小僧のような笑みを白髭の間に湛えて、別れの挨拶を拙生に送るのでありました。 「ああ、これはどうも。色々お世話になりました」  拙生は丁寧なお辞儀をするのでありました。 「いやまあ、そのワシのお世話なんというのも結局何も実らなんだが、ま、しかし、実のところその方がお手前にとっては好都合じゃったみたいじゃしのう」 「へいどうも、恐れ入ります」 「まあ、お手前もまたその内こちらに来る事になろうから、その折にワシが再び担当する事にでもなったら、今度はつまらんヘマをせんよう気をつけるわいの」 「いやまあ、この次も今回みたいな風に宜しくお願いしたいもので」 「そうはいかんわい。二回もヘマをやると、閻魔庁長官殿が角を出して怒りよるわいの」 「二回? ふん。二回どころか、・・・」  これは補佐官筆頭が閻魔大王官に見えない、そして聞こえないように、げんなり顔でごにょごにょと口の中で云う言葉でありました。拙生にはちゃんと聞こえるのでありました。 「ま、ほんじゃあ、向うに戻ったら、体大事にしてください」  閻魔大王官はまたも、落語家の先代林家三平師匠と同じ口調で云うのでありました。 (続)

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