1964年はジャイアント馬場の全盛期。
米国遠征中、各地で世界チャンピオンに挑戦し大金を稼いだ。
しかし日本のプロレス界は力道山を失い、後継者が必要だった。
米国と日本で馬場の争奪戦が始まる。
ジャイアント馬場個人だけでなく、
プロレスそのものの成り立ちについても記述されていた。
内容はプロレスライター流智美氏への取材に基づいており、
当時、プロレス界最高権威だったNWAの仕組みについても詳しく解説されている。
ジャイアント馬場については巨人軍や脳腫瘍の話も書かれており、
特に巨人軍時代の不遇は興味深く読めた。
二軍で最優秀投手でありながら、巨体への偏見のため、
一軍で活躍する機会を与えられなかったというのだ。
当時、巨人軍に在籍した選手たちの馬場評は賛否分かれていた。
実際はどうだったのだろうか。
全日本プロレス旗揚げ後は苦戦が続く。
日本テレビから莫大な放映権料を貰い、
豪華外国人レスラーたちを来日させたが、視聴率アップには繋がらなかった。
大金を叩いてNWA王座も手に入れても、人気回復とはならず、
全日本プロレス中継はゴールデンタイムから撤退となった。
マッチメーカーが変わり、ジャンボ鶴田、天龍源一郎がプッシュされ、
1985年、長州力率いるジャパンプロレスが参戦し、ようやくゴールデンタイム復帰。
それでも視聴率は苦戦。
しかし輪島のプロレス入りで、歴代最高視聴率をマーク。
日本テレビは喜ぶが、馬場は嫉妬心のため輪島を持ち上げることができないのだった。
確かに馬場は解説で輪島に対して辛辣な言葉を吐いていた。
「馬場さんはケチだった。ギャラをちょっとしか上げてくれなかった」
とコメントする元全日本の選手がいたが、
これは外国人レスラー優遇のツケが日本人レスラーに回ってきていたのだと思う。
天龍革命や三沢光晴の決起、
1980年代後半以降、ジャイアント馬場のブレーンだった
週刊プロレスについても触れられており、全586ページ、読み応え十分の本だった。
読後、いろいろ感慨にふけること間違いないだろう。
(ブルーノ・サンマルチノのインタビューも収録)
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