<あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことはわからないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く露にすぎません。(14節)> 「兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。・・・裁きを行う方はおひとりだけです。」とヤコブは警告する。 神がシナイ山でイスラエルの民に与えられた律法は、出エジプト20章の十戒から始まり、35章にいたるまで記述されている。それは、神が望まれる人々の生き方、礼拝、相互の愛はどのようなものかを、約束の民イスラエルに教えている。 同じ律法を持ち、同じ礼拝を守り、同じ主イエスを仰ぎながら、意見が異なり、その生活が違い、互いに非難し合う。「裁きを行う方は、おひとりです。」と言ってヤコブは「隣人を裁くあなたは、いったい何者ですか」と厳しく咎める。 わたしたちの教会の礼拝も、静かに礼拝を守りたい方、子どもの泣き声のない礼拝は淋しいと言われる方。コートを着たままの方、脱ぐべきだという方、様々な声がおこっている。隣人の気持ちを汲むというのは容易なことではない。ましてや「愛」はもっと難しい。 次にヤコブは、商売をして金儲けをしようとする人たちに警告する。「あなたがたは自分の命がどうなるか、明日のことは分からないだろう。我々の生涯はやがて消えゆく露に過ぎないのだ」と言った。 「一切の計画は無駄だ。明日などない。と言っているのではありません。『主の御心であれば』という心持がないことを、戒めているのです。私たちの命を支配しておられる主がいらして初めて、確実な『明日』を期待することが出来るのです。」と白井牧師は説かれる。 「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」とヤコブは断定する。年末になり様々な所から寄付要請の便りが届く。わずかでも送金するのが正しいのだと知っていながら、こっちにも事情があるしなぁと思ってそのままにしている。 何千万年も生きている地球上に、今を同じくして生きている隣人は、どんなに見知らぬ遠くの人でもその出会いは奇跡である。そのことを思うとその隣人の苦しみを知らせる便りを、コーヒーを飲みながら「だけどなぁ・・・」といって無視するのは大きな罪だ。 驕り高ぶる人々へのヤコブの警告は、御言葉に従う道を歩む者にならせて下さいと祈ることを求めている。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://www1.ocn.ne.jp/~church/japan.htm どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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