<わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。 (1節)> 日本キリスト教会は、「長老制の教会」である。長老制は牧師(教職)・長老・執事といった複数の務めを立て、小会、中会、大会といった段階的な会議によって教会の政治を行う。と「日本キリスト教会の教会員の生活」は記している。 そして、教職と信徒の間には聖俗の区別を主張せず、教職間の階級もない。また、段階的な会議を持つことによって、教会の決定が多数決によって人間中心主義になる危険を防いでいる。と続き、「教職」については、 「前述のように特別な階級ではないが、教職の権威と任務が軽視されるべきではない。教職の権威とは、御言葉の証人としての地位にあります。全生涯を通して御言葉の真理に仕え、その生きた証人となるのです」 初代教会においても、教えることは聖霊から来る特別な賜物であり、教える者は、名誉ある地位を与えられた。彼らの責任は大きく、彼らの話すことが多くの人に影響を与えた。 情報も乏しく、多くの人々は文字が読めなかった時代、聖書を紐解き御言葉を説き明かす人たちを人々は無条件に崇拝した。しかし、教師を名乗って自分の理論や体験を通して考えたことを教える者や、ひどい者は自分の利益のために人々を煽る者もいた。 ヤコブは教師を名乗る人々に警告する。言葉で過ちを犯さなければ、人は自分の全身を制御できる。馬に轡をはめれば、その体全体を意のままに動かすことが出来る。舌は小さな器官だけれど、大言壮語する。舌は火、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くすと。 「教職は単に人から任命されたものではなく、主の召しにおいて立てられている者です」と「教会員の生活」は定義している。教会員は御言葉を語る教師を無条件に信頼し、教師はその信頼に応えながら教会員にではなく、神に奉仕しなければならない。 初代教会にはヤコブが警告すべき様々なことがあった。現代の教会は、高学歴、高い社会的地位を持つ者が、社会のしきたりや規範を牧師に求めたり、聖書を勝手に解釈してしまう弱点を持つ。持ち物の多さが、へりくだり、主に従うということを困難にしている。 「教会のあらゆる奉仕が教職の任務を正しく遂行するために集中されなければならない。」と「教会員の生活」は記す。牧師が御言葉を語る環境を整える奉仕が求められている。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://www1.ocn.ne.jp/~church/japan.htm どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。
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