「いいですか、みなさんは過去にとらわれ過ぎているんじゃないですか?」
壇上の男が言った。男は最近ネットや講演会で評判のいわゆるスピリチャル系の講師だ。守護霊だかハイヤーセルフだかなんだか高次元の自分と交信することによって悟りを開いてこの世のさまざまなことが見えるようになったと語る男だ。
「過去にとらわれているうちは幸せになんてなれません。 それに……」
聴衆が見守る中、いったん言葉を切ってすぐに続けた。
「未来もだめです。いま頑張ったら素敵な未来がやってくるなんて言うのは全くの幻想です」
聴衆の一人が思わず声を上げた。
「じゃぁ、どうすればいいんです?」
漆黒斉は海上を見渡して言った。
「何度も言っていますが……”いまここ”です」
男は目を閉じて続けた。
「過去でも未来でもなく、いまここ。いまここで自分は幸せであると感じ、信じること。その積み重ねこそが幸せな未来につながるんです」
聴衆はみんな静かに”いまここ”という言葉を噛みしめていたが、すぐに先ほど声を上げた男が再び問いかけた。
「でも、黒斉さん、その、”いまここ”の”い”を言ったとたん、もういまじゃなくなって次のいまに進んでしまいます。私は”いまここ”に留まって幸せを感じることができません!」
漆黒斉は一瞬なにを言っているのかわからないといった表情になったが、すぐに元の冷静な表情を取り戻して言った。
「なるほど、そうですか。あなた、それは詭弁というものです。あなたはそういうことを言って私が間違っているといいたいわけですね? わかりました。では、あなたが”いまここ”に留まっていられるようにしてあげましょう。その間にあなたは”いまここ”がどんな状態であるかを感じ取るのですよ」
漆黒斉が両手を高く掲げて目を白黒させながら「ふんっむ!」と一言唸ると、あたりのに冷気が漲り、すべての時間が凍りついた。世界中が”いまここ”になった。
了
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