ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
アドルフ・ガランド著の「始まりと終わり」を読破しました。
今年の4月に「完全新訳」という形で再び世に現れた、知らぬ人のいない一冊です。
もともとはフジ出版社から1972年に出た「始まりと終り―栄光のドイツ空軍」が有名で、
この独破戦線でも以前に紹介しています。
その際、本書の訳者さんらしき方から「英語版の翻訳で完全版ではない」旨のコメントを頂戴し、
ならばと「独語完全版を翻訳、出版していただけませんか?」なんてやり取りが・・。
それから3年・・。その時の熱い思いが伝わったのかどうかはわかりませんが、
704ページの分厚い本書をジックリと楽しんでみたいと思います。
再刊された本を読むというのは初めての経験ですので、まずは見た目から比較してみましょう。
第1にタイトルがビミョーに違いますね。
副題が違うのは明らかですが、旧版は「始まりと終り」、新版は「始まりと終わり」です。
第2に著者の名前も・・、旧版は「アドルフ・ガーラント」、新版は「アドルフ・ガランド」。。
これについては渡辺洋二著の「ジェット戦闘機Me262」にも書かれているとおり、
本人から「ガランド」であるとの回答を得たということで、そちらになったようです。
ちなみに独破戦線では間を取って??「ガーランド」です・・。
第3にページ数、旧版が398ページで、新版は704ページですが、
なんといっても旧版は上下2段組みで文字も小さいですから、ページ数ほどの差はないでしょう。
その他、旧版は函入りかつ、高級感溢れる製本だったりと、愛着もありますね。
第1章は「アルゼンチンの地の上で」。
戦後、1955年までアルゼンチン空軍で顧問を務めていたガーランド。
大統領のペロン将軍とのエピソードでは、スペイン語を話し始めてようやく
ドイツ人だと気付いてもらえた・・というその「北方ゲルマン」的ではない風貌。
メルダースに続いて柏葉騎士十字章を受章し、ヒトラーと初めて対面した際にも、
またもや肌の浅黒い「ちんちくりんのゲルマン人」の姿を見て、総統は笑いながら言います。
「まったく、いつになったら金髪碧眼のゲルマン人が来るんだ」。
原著の発刊は1954年(旧版では1953年となってますが・・)ですから、
この出だしは本書がアルゼンチン時代に書かれたことを意味しているようです。
ちなみにペロン将軍の奥さんはマドンナが演じたことでも有名な「エビータ」ですね。
続いて第2章は「パイロットになろう・・」。
4月に紹介した写真集「アドルフ・ガラント」でも少し触れられていた、
17歳のグライダー飛行少年アドルフが見習いパイロットとしてルフトハンザに入り、
1935年、ドイツ国防軍史上、初めて軍服にネクタイと襟が付けられたドイツ空軍へ。
伝統ある陸軍兵からは「ネクタイ兵」という綽名が付けられるのでした。
第7章は「コンドル軍団に呼集」です。
1937年5月8日、正真正銘のオンボロ船でなんとかスペインに辿り着き、
その直前に起こった「ゲルニカ爆撃」にも触れながら話は進みます。
そして「ミッキーマウス中隊」と呼ばれた第88戦闘飛行隊第3中隊の指揮を任され、
他の中隊ではリュッツォウ中尉も・・。は~、そうですか。
翌年には波乱に満ちた15ヶ月間のスペイン時代も終わりを告げ、
後任にメルダースがやって来ます。
「さらば第3中隊、さらば内戦、さらばスペインよ」と、
まるでヘミングウェイを読んでいるかのようです。
117ページからの第10章は「西方戦役における戦闘機隊」で、旧版では第1章の「始まり」。
実はここまで英語版のフジ出版では、まるまる削除されていたわけですね。
いわゆる「始まりの始まりがあった」と云われている所以です。
ドイツ語オリジナル版完全新訳というのも本書のウリですので、
この章の1ページ目を少しだけ比較してみましょう。
まずは「旧版」から。
「東部ポーランドにおける電撃戦のあと、西方でのすわりこみ戦争が続いた。
そのために関係者全員が激しい神経の緊張を強いられた。
私は、二週間ごとにわれわれの航空団に所属する三つの連隊全部の指揮をとり、
その間にそれぞれの隊の指揮官が交代で休暇を取った。
<中略>・・・誰かが実際に撃墜されたこともあった。それは友軍機の一つで、
FW-58ワイヘであり、操縦していたのは連隊長だった。だが何ごともなかった。」
これが本書になると・・、
「東方での電撃的勝利に続いたのは西方の「奇妙な戦争」だった。
当事者にとっては大変な緊張感だった。
私は所属航空団の三飛行隊長がそれぞれ二週間の休暇を取っている間、
代わる代わる指揮を執った。
<中略>・・・誰かが実際に撃墜されてしまった。それは友軍機のFw58ヴァイエで、
乗っていたのは戦闘機隊指導官(ヤー・フュー)だった。なんたるザマか!
不幸中の幸いは、これ以外は何事もなかったことだった。
それにしても、よくも「ヤー・フュー」はそんな機で飛んでいたものだ!」
いかがでしょう?
連隊と飛行隊、連隊長と戦闘機隊指導官と、よりドイツ空軍らしい表記ですし、
「ヤー・フュー」はカッコ書きではなく、戦闘機隊指導官の横に小さくふりがなで表記、
同じく電撃的勝利は「ブリッツズィーク」、奇妙な戦争は「ズイッツクリーク」と
ドイツ語読みのふりがながドイツ軍好きには嬉しい気遣いですね。
そして一番の相違点は、過激な文言の有無です。
本文は基本的に旧版の「始まりと終り」と同じですから、以降は重複を避けて
今回気になった箇所を挙げていきましょう。
まずは「バトル・オブ・ブリテン」。
この英軍機との戦いでエース・パイロットとなった著者ですが、
英国本土爆撃が主体となり、戦闘機は爆撃機の護衛を命ぜられます。
しかし満足に援護が行えないことが判明すると、
「よろしい、これからは戦闘機で英国まで爆弾を運んで行ってもらおうか」。
このようにして戦闘機の1/3が戦闘爆撃機に転換されることとなり、
それまで能力向上のために余計なものを全て捨てて速力をわずかでも絞り出し、
航続距離を伸ばすために再三要求してきた「増槽」の代わりに、
Me-109に爆弾投下器と250㌔爆弾を頂戴するという冒涜に耐え忍ぶのです。
そしてしぶしぶ遂行し、士気も疲弊しきった戦闘爆撃機任務。
ゲーリングは吐き捨てるように言います。
「こうした任務が与えられたのは己が無能であったからであり、
もしこれにも不適当であることがわかったら、戦闘機部隊などまるごと解散した方がマシだ」。
「なんたる仕打ちか!」と前線青年将校は激怒して指導部を激しく批判するのでした。
う~ん。すでに「終わりの始まり」のように感じますね。
1942年1月、メルダースに続く2番目の軍人として、ダイヤモンド柏葉剣付騎士十字章を受章。
「総統から授かったダイヤモンドというのがそれだな」
と言うのは勲章&宝石マニアのゲーリング。
そしてご機嫌よろしく手のひらの上で吟味すると、「こりゃダイヤじゃないぞ。クズだ。
総統もしてやられたな。大砲や戦車なら知っているのだろうが・・」。
こうして御用達の宝石商に特製ダイヤで作り直させて、子供のようにはしゃぐ国家元帥。
その後、ヒトラーの元に出頭することとなったガーランド。
ヒトラーは改まって「今ここにドイツ最高の勲章の最終デザイン版を貴官に手渡す。
貴官がこれまで佩用していたものは暫定的なものだ」。
ゲーリングによって新調されていることなど露程も知らないヒトラーは、
国家元帥版のダイヤ片手に、新しいものを片手にし、
「さぁ、違いがわかるかね。これはクズで、こちらが本物のダイヤだ」。
しかし、「クズ」の方がずっと大きく、何倍も美しい・・。
まぁ、3年前に一度読んだだけですから、すべての内容を覚えていませんが、
途中、何度か「こんな話あったっけ?」と思った箇所が20数か所はありました。
その都度、旧版を読み返して確認してみましたが、
2回に1回はやっぱり旧版ではカットされていた箇所でした。
このダイヤモンド章のエピソードも旧版ではまるまるカットなんですね。
米軍のドイツ本土爆撃が始まると、この昼間空襲を阻止するためにヒトラーヘ意見具申します。
「わたくしとしては米軍の護衛戦闘機と同数の戦闘機を更に要求せねばなりません」。
しかしコレを知ったゲーリングは越権行為だとして最大級の怒りを爆発。
「総統に対してヌケヌケと・・、精神のたるんだ敗北主義者の妄想もいいところだ!」
若干30歳にして少将に昇進し、「戦闘機隊総監」となったガーランド。
ヒトラーとゲーリングに直属する役職ですが、だからといっても空軍内には
参謀総長もいれば、大将に元帥といった階級のお偉いさん方もいっぱいいます。
ライバルの爆撃機隊は優遇され、戦闘機隊は風当たりが強い。。
この状況を現在のグループ企業のような大きな会社に置き換えてみると、
ナチスドイツ・グループの新参会社である空軍の、特命部長あたりでしょうか・・?
無能な"ふとっちょ"社長から頻繁に叱責され、決済するのはワンマン会長のヒトラー。
嗚呼・・、まさに過労死するか、鬱になるかと思わずにはいられません。
実際、取締役だったウーデットやイェショネクも自殺に追い込まれているのです・・。
1943年7月、初めての英米昼夜兼行連続爆撃がドイツの一大都市を襲い、
ハンブルクが地獄と化します。
半年ほど前に起こった軍事的危機、「スターリングラード」の方がより衝撃的であったものの、
数千㌔も離れたヴォルガ河畔ではなく、ハンブルクはドイツの心臓部たるエルベ河畔なだけに、
ドイツ国民の心理的側面から言えば、危機的な重大事件なわけです。
そして1943年の秋には空軍の部隊指揮官不足が非常に深刻な事態に・・。
22歳のドイツ軍最年少の大尉であり、わずか1年足らずのうちに158機を撃墜し、
不敗のまま戦死したマルセイユを著者は「傑出した名手」と褒め称え、
まるで後のジェームズ・ディーンのような大スターを彷彿とさせる
このような戦闘機パイロットを目指す若者たちはいくらでもいます。
しかし「国家社会主義航空団(NSFK)」などで準軍事的飛行訓練を受けた若者は、
直接、空軍に引き渡されず、まず「国家労働奉仕団(RAD)」が介在します。
このRADとは、基本的に半年間、農業やら道路、鉄道、飛行場建設といった労働を行い、
若者に社会での実践的な教育を施す機関ですが、
それによってこれまでの飛行訓練の連続性を絶たれただけでなく、大勢の若者の中に埋もれ、
それから個々の軍種が必要とされる者を引き抜いてしまうのです。
例えば、リーダーシップがある若者なら陸軍に、
寡黙な男前なら??海軍に、気が強ければ武装SSに・・といった具合ですか。。
航空訓練を受けた者をRADに編入しないよう、ヒトラーに対して何度も要請がなされても、
すべて失敗。。この義務から免れたのは、女性ダンサーや女優のみなのでした。。
海戦は船を乗っ取っての白兵戦から、敵を視認できないほどの距離での砲撃戦へ、
戦車の有効射程距離も800mだったが、最新型なら3㌔以上の距離で渡り合える・・、
しかし戦闘機だけがこうした発展から遅れを取り、
いまだに400mまで近づかなくてはいけない有様だ・・。
こんな発言をするのはもちろんヒトラーしかいません。
そして誕生したのがMe-410駆逐機です。
Ⅲ号戦車5センチ戦車砲を航空機搭載砲に改良し、機首から3mも砲身を突き出した化け物。。
あ~、ナチスの開発したUFOにティーガーやパンター戦車の砲塔ってここから来てるのかも・・。
このBK5という対爆撃機用機関砲は、約15発の自動装填式ですが、
5発も撃つとひどい装弾不良を起こし、1000mどころか、
たかだか400mの距離で命中できる程度・・。まったく意味がありません。
「2,3発撃って四発機を縮み上がらせた後は、サンダーボルトを砲身で串刺しにすりゃいい」
と、皮肉るだけです。
ちなみに旧版だと、この串刺しの部分「体当たりしてやるさ」です。
たいした違いはないようですが、写真を見ると洒落っ気の面白さが違いますね。
この期に及んで本土防衛にいっそうの関心を抱くに至ったゲーリング。
部隊から部隊へと視察に回って激励スピーチ。その標語は「わたしを見捨てないで!」。。
今や戦闘機隊を直接指揮し、来襲機との戦闘にも介入しますが、
「国家元帥が陣頭指揮に立っている」と言われたところで、部隊の士気は高まりもしません。
フォッケウルフ最終組立工場に対する米軍の爆撃。
敵が帰路についたという情報にガーランドは机を立ち、FW-190で僚機とともに追尾します。
200機から300機の敵爆撃機を追う、「天空を漂う戦闘機隊総監」。
本来、こんな役職であれば戦闘機に乗ることすら許されません。
しかし、堪らず落伍した爆撃機に背後下から攻撃します。
20㎜機関砲四門と機銃二挺をありったけ連射し、教範どおりの撃墜!
ダイヤモンド章の逸話に、本土防空戦に挑む戦闘機隊総監のアクション・シーンなど、
ガーランド個人のエピソードがこの完全版では多いのが読んでいてわかります。
確かに旧版の副題は「栄光のドイツ空軍」であり、ドイツ空軍を総括したもの。
一方、本書は副題に「アドルフ・ガランド自伝」と銘打っているだけあって、
前半の少年時代から、本文中のちょっとした個人的な話は、より「回想録」チックです。
チャーチルや"ボマー"ハリスの回顧録、アイゼンハワーの「ヨーロッパ十字軍」など、
連合軍側の本や資料も活用している本書。
英米の爆撃機がドイツ本土を空襲した後、そのままソ連領の飛行場に着陸する・・という
共同作戦をスターリンは了承します。
しかし日本に対する戦略爆撃機用に、シベリアにもこのような拠点を設けることには、
さしあたって拒絶・・。前者は有名な話ですが、後者の話は覚えてませんでした。
ようやく誕生したジェット戦闘機Me-262はヒトラーの鶴の一声で「電撃爆撃機」に・・。
150機撃墜で剣章を受章したシュタインホフは、謁見の際、ヒトラーに申し出ます。
「わが軍機は速くなるどころか遅くなる一方であります。敵戦闘機とは70㌔の差が・・」。
気まずい沈黙・・。「ではいったい何が欲しいと言うのだ。新型機か何かか」。
「そうであります。ジェット戦闘機を!」
「ジェット戦闘機、ジェット戦闘機・・、取り憑かれておるな。そんな話は2度と聞きたくない!」
しかし、戦闘機隊総監を解任されたガーランドは、ジェット戦闘機の実戦上の価値を
自ら証明できるよう、Me-262を配備した部隊の編制を任されます。
こうして「反乱の先導者」として飛ばされていたリュッツォウら、騎士十字章のエースが集まり、
パイロットとして中将1人、大佐2人、中佐1人、少佐3人、大尉5人、少尉8人、
そして同数の下士官から成る「第44戦闘団」が誕生するのでした。
望んだ椅子でもない「戦闘機隊総監」となってからは、敵である連合軍のみならず、
上司ゲーリングを筆頭としたドイツ空軍内部とも戦い続けるガーランド。
劣勢続きで、読んでいてもストレスが溜まってくるだけに
最後のMe-262の話に辿り着くと、こっちのテンションも上がってきました。
Me-262はそのスピードだけでなく、火力もいっそう強力になります。
一発でも命中すれば四発重爆を撃墜できる「R4Mロケット弾」を両翼に24発収納。
最後の攻撃に飛び立ちますが「終わり」の時はすぐそこに・・。
写真はHe-111に無理やり乗り込む巨体のゲーリングといった初見の写真も含め
所々にまとめて掲載されており、数え間違いがなければ79ページです。
ちなみに旧版が巻頭に32ページですから、倍以上はありますね。
その分、旧版には付録と人名解説索引が巻末に60ページあって、
コレはコレでフジ出版らしい魅力があるんですね。
それでも所々で書いたように、前半の9章までがカットされていただけでなく、
以降の章においても100か所以上が部分的に省略されていたということですから、
旧版をお持ちの方でも、手にしてみる価値は充分あると思います。
日本語版wikiのアドルフ・ガーランドでは著書の項目に
「『Die Ersten und die Letzten (邦訳:始まりと終り)』:全世界で翻訳され、
300万部を超えるベストセラーとなった。日本では1972年にフジ出版社より刊行されている」
とありますが、どなたか編集してみてはいかがでしょうか。
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