*~筆者・伊集院静さんの、30歳を過ぎた妹がロンドンに語学留学に旅たつのを見送った際の想い。現在と昔の家族での出来事や想いと、その妹さんが好きな、ジュリーこと沢田研二さんについての筆者の考えが描かれている。~* 筆者は、上に姉が2人、下に妹と少し歳の離れた弟がいて、女性ばかりに囲まれて育つのを心配した父親の意向から、小学校に入ったころから母屋でなく、離れで暮らすようになりました。 家族にはそれぞれの形があります。 わかっていたつもりですが、わたしの身近な人の家族や、家族観を知る機会があり、最近、ほんとうに、いろいろだな、と思います。 どれが普通で、どれがちょっと標準からは外れている、とか、そんなことはどうでもよくて、結局は家族それぞれがちゃんと幸せを感じられるなら、しっかりと自分で生きていける教育ができるのなら、それだけでいいのだろうな、と思います。 たとえば、伊集院さんの場合。 そんな小さい子供が、親から物理的に離れたところで暮らすなんて、と、それだけでも、わたしにはおどろきだったのですが、だからといって、伊集院さんが曲がって大きくなったということはなく、ご両親の教育も思いも、きっちり受け取っておられる様子を感じ、そんなことをおもいました。 筆者は、ジュリーの、かつて新幹線で起こした悶着を思い出し、世間を恐れずにそういうことができるのは、その人が個人というものを、人としての背骨をきちんと持った人だからできることだ、と書いています。 お酒の席でみたジュリーは、しっかり腰を下ろして飲むことができる人だ、と筆者は語ります。 そんな飲み方ができるジュリーも、そういう目と感性をもっている伊集院さんも、素敵だなあと思いました。 そして翻って、自分ははたして、背骨をきっちり持てているのか?と。 誰のものでもない、自分の人生。 くらげみたいになっていないか?? 30代半ば、人格もそうですが、生き方に対する自分の責任についても考えました。 *「ジュリーが一番」(「あの子のカーネーション」に収録) 伊集院静/文春文庫*
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