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ミカ書 3章1~12節

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<先見者はうろたえ、託宣を告げるものは恥をかき、皆口ひげを覆う。神が答えられないからだ。しかし、わたしは力と主の霊、正義と勇気に満ち、ヤコブに咎を、イスラエルに罪を告げる。(7.8節)> いなくなったろばを探しだせず、困っているサウルに、供の者が言った「この町に神の人がおられます。尊敬される人でその方のおっしゃることは何でもその通りになります。」とサムエル記上9章は、イスラエル最初の王サウルと預言者サムエルの出会いを記していく。 人々は神託を求めに行く時「先見者の所に行く」と言った。イスラエル宗教の中に位置づけられた先見者(預言者)は、王とも祭司とも違う方向で神の意志を伝える職務であった。 「しかし、その職務の芯が崩れてゆく様を、ミカは見ていたのです。かつては国の土台であった農民が没落する中で、富の格差が広がりました。指導者たちは富める側の利益を保護し、没落する人を顧みませんでした。」と白井牧師は説かれる。 「わが民を迷わす預言者たちに対して、主はこう言われる。彼らは歯で何かをかんでいる間は平和を告げるが、その口に何も与えない人には、戦争を宣言する。」(5節)。多くの預言者は堕落し、指導者の意向に添い、そこに「神の託宣」という形で指示を与えた。 沖縄には「空腹を満たしてくれるのが私の主人だ」という言葉があると聞いた。預言者たちは主人の顔色を見つつ、彼の気に入るような言葉を並べて、神の言葉だと偽り助言した。「ここに、宗教者が陥りやすい罪の基本形があります」と白井牧師は指摘し「世間の期待に応えようとする誘惑に宗教者は絶えずさらされているのです。」と記される。 「頭たちは賄賂を取って裁判し、祭司たちは代価を取って教え、預言者たちは金をとって託宣を告げる。しかも主を頼りにして言う『主が我らの中におられるではないか、災いが我々に及ぶことはない』と。」(11節) 国のトップに取り巻きはつきものだ。トップは世界中を飛び回っているので、当然落ち着いて物事を考えることも決断することも出来ない。それで、様々な分野のスペシャリストがブレーンと呼ばれる取り巻きになる。最高の栄誉でありこれを手放すのは惜しい。それで、トップの気に入られるような政策案を打ち出す。今の世も同じことをしている。 「ミカは目先の損得の上に、神が示される正義があることを知っていた。預言者に正義のあり方を伝えるのは聖霊である。霊は物事の本質を示すと共に、この世の誘惑に打ち勝つ勇気を、私たちの内に示して下さるのです。」と白井牧師は結ばれる。 教会は世に流されることなく、その預言者としてこの世に仕えるものとされている。 日曜日はお近くの教会で礼拝を http://www1.ocn.ne.jp/~church/japan.htm どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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