宇城憲治さんの書いた『つよい子に育てる躾(しつけ)』という本を読みました。
タイトル:つよい子に育てる躾
著者:宇城憲治
出版:どう出版
初版:2012.11.27
宇城憲治さんは、心道流空手道心道会範士八段、全日本剣道連盟居合道・無双直伝英信流教士七段のの空手家です。
現存する武道の達人の一人です。
気が使えるだけでなく、他人に(一時的に)気が使えるようにできる人です。
私の個人的な感想で言うと、人類最強であり、合気道の達人です。
・・・・・・・・・・・・
もともと、私が合気道を始めたのは、大学時代のクラブ活動が最初でした。
20年以上前の事です。
新入部員の私になされた合気道の説明は、
「合気道とは、(悪の道におちいった)相手を正しい方向に導くのだ。」
というような、恐ろしく高飛車な発言でした。
実際に合気道をやっている我々大学生は、ヒョロヒョロのひよっこで、悪い不良に絡まれたらボコボコにされてしまいそうなメンバーです。
説明される理想と、現実のギャップに唖然としました。
いろいろと調べていくにしたがって、
合気道の開祖の植芝盛平は、武道の達人であった事。
達人の噂を聞いて、植芝盛平をやっつけてやろうと、各武道界から腕に自信のある猛者が集まったが、ことごとく植芝盛平に負かされた事。
その技に惚れ込んで入会した荒くれどもが集まって、当時の合気道の道場は、水滸伝の『梁山泊』の如き状況であった事。
つまり植芝盛平は、戦えば必ず勝つことがわかっているので、相手を殺さずに活かす事を本気で考えていたという事。
がわかってきました。
単純に考えてみて、例えば、江戸時代に剣術の達人になったとします。
・戦えば必ず勝つ。
・真剣で戦えば、負けた相手は死ぬ。
・人を殺して気持ちが良いわけがない。
・さらに、殺してしまった相手の身内から恨まれて、相手の親・兄弟・妻・子供が敵討ちにやってくる。
・それをまた殺せば敵がドンドン増えていく。
・いつ何時命を狙われるかわからないから、うかうかと夜も眠れない。
・殺した相手の悪霊にうなされるかもしれない。
・人から恨まれるよりも、人から感謝される方が寝付きが良いに決っている。
・その境地で自然と生れるのが活かす為の武道だ。
それが、合気道なのだ。
・・・・・・・・・・・・ そういう意味で、宇城憲治師範は合気道の達人だと思うのです。 『つよい子に育てる躾(しつけ)』には、子供のしつけの大切さが書かれています。 日本に昔から伝わる挨拶や礼儀作法が、いかに大切かがわかります。 頭で理解できる範囲以上に、挨拶や礼儀作法は身体や心に影響を与えています。 しかし、現代は子供のしつけの前に、親のしつけができていません。 年齢を重ねているだけで、挨拶もできない、礼儀作法もなっていない大人が多数います。 子供の話ではなく、親が自分の話として躾けを考える必要がある、という事を痛感させられました。 以下に、気になった部分を抜粋しておきます。 Page12
日本ではこの「身体でまねる、覚える、そして身につける」という理想的な学習方法が、昔から自然に躾、所作、礼儀という型、形で伝わっています。それらは日常の当たり前のこととして誰もが無意識にやってきたことでした。 しかしながら、今の教育は、何でも先に知識としてものごとを理解させようとしています。
Page65
大人の場合も子どもと同じように礼をすることで押せるはずなのですが、不思議なことに大人の場合は、礼の型だけでは押すことができません。その違いは、大人と子どもの心のあり方にあります。子どもの心は打算や疑いのない「無の心」ですが、大人はそれが失われていることが多いのです。それ故に意識してでも「感謝の心を込める」ことが必要となるのです。
Page66
今の子どもは命令で動くことにあまりに慣らされてしまっており、自ら動く力を失ってしまっています。命令されて動いた行動は気の働きがない動きで、浮いた動きとも言えます。
Page66
大人の場合は、無意識に何かと考え込んだり損得で動いたりしてしまうので、身体の気が止まってしまっています。ですから意識してでも胸のライトを照らすことによって、心を開放することが必要となるのです。
Page67
ただし、「身体を強くしたいから」とか、「気を通したいから」というように、自分の欲で同じ行為をすると、かえって身体を弱くしてしまいます。形だけで気持ちが伴わないと、身体は強くはなりません。すべては心の発動の結果なのであり、その心と身体とが一致した時に、発動されるパワーであるということです。
Page84 お母さんと臍の緒でつながっていた赤ちゃんは母親の胎内から生まれ出た瞬間から、今度は、臍の緒の代わりに地球を命綱とします。
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もともと、私が合気道を始めたのは、大学時代のクラブ活動が最初でした。
20年以上前の事です。
新入部員の私になされた合気道の説明は、
「合気道とは、(悪の道におちいった)相手を正しい方向に導くのだ。」
というような、恐ろしく高飛車な発言でした。
実際に合気道をやっている我々大学生は、ヒョロヒョロのひよっこで、悪い不良に絡まれたらボコボコにされてしまいそうなメンバーです。
説明される理想と、現実のギャップに唖然としました。
いろいろと調べていくにしたがって、
合気道の開祖の植芝盛平は、武道の達人であった事。
達人の噂を聞いて、植芝盛平をやっつけてやろうと、各武道界から腕に自信のある猛者が集まったが、ことごとく植芝盛平に負かされた事。
その技に惚れ込んで入会した荒くれどもが集まって、当時の合気道の道場は、水滸伝の『梁山泊』の如き状況であった事。
つまり植芝盛平は、戦えば必ず勝つことがわかっているので、相手を殺さずに活かす事を本気で考えていたという事。
がわかってきました。
単純に考えてみて、例えば、江戸時代に剣術の達人になったとします。
・戦えば必ず勝つ。
・真剣で戦えば、負けた相手は死ぬ。
・人を殺して気持ちが良いわけがない。
・さらに、殺してしまった相手の身内から恨まれて、相手の親・兄弟・妻・子供が敵討ちにやってくる。
・それをまた殺せば敵がドンドン増えていく。
・いつ何時命を狙われるかわからないから、うかうかと夜も眠れない。
・殺した相手の悪霊にうなされるかもしれない。
・人から恨まれるよりも、人から感謝される方が寝付きが良いに決っている。
・その境地で自然と生れるのが活かす為の武道だ。
それが、合気道なのだ。
・・・・・・・・・・・・ そういう意味で、宇城憲治師範は合気道の達人だと思うのです。 『つよい子に育てる躾(しつけ)』には、子供のしつけの大切さが書かれています。 日本に昔から伝わる挨拶や礼儀作法が、いかに大切かがわかります。 頭で理解できる範囲以上に、挨拶や礼儀作法は身体や心に影響を与えています。 しかし、現代は子供のしつけの前に、親のしつけができていません。 年齢を重ねているだけで、挨拶もできない、礼儀作法もなっていない大人が多数います。 子供の話ではなく、親が自分の話として躾けを考える必要がある、という事を痛感させられました。 以下に、気になった部分を抜粋しておきます。 Page12
日本ではこの「身体でまねる、覚える、そして身につける」という理想的な学習方法が、昔から自然に躾、所作、礼儀という型、形で伝わっています。それらは日常の当たり前のこととして誰もが無意識にやってきたことでした。 しかしながら、今の教育は、何でも先に知識としてものごとを理解させようとしています。
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大人の場合も子どもと同じように礼をすることで押せるはずなのですが、不思議なことに大人の場合は、礼の型だけでは押すことができません。その違いは、大人と子どもの心のあり方にあります。子どもの心は打算や疑いのない「無の心」ですが、大人はそれが失われていることが多いのです。それ故に意識してでも「感謝の心を込める」ことが必要となるのです。
Page66
今の子どもは命令で動くことにあまりに慣らされてしまっており、自ら動く力を失ってしまっています。命令されて動いた行動は気の働きがない動きで、浮いた動きとも言えます。
Page66
大人の場合は、無意識に何かと考え込んだり損得で動いたりしてしまうので、身体の気が止まってしまっています。ですから意識してでも胸のライトを照らすことによって、心を開放することが必要となるのです。
Page67
ただし、「身体を強くしたいから」とか、「気を通したいから」というように、自分の欲で同じ行為をすると、かえって身体を弱くしてしまいます。形だけで気持ちが伴わないと、身体は強くはなりません。すべては心の発動の結果なのであり、その心と身体とが一致した時に、発動されるパワーであるということです。
Page84 お母さんと臍の緒でつながっていた赤ちゃんは母親の胎内から生まれ出た瞬間から、今度は、臍の緒の代わりに地球を命綱とします。