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第九百十六話 声

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 ある朝目覚めると、声がマシンボイスになっていた。マシンボイスとはあの「ヴァレバレヴァレヴァ―宇宙人ダァー」みたいな、あのロボットボイスのことである。

「ナンダコレハ、コノ声ヴァ……」

 自分の声は自分で聞いもほんとうの声は聞こえないというが、これは明かにおかしい。おかしいがなんだか悪くない気もする。だいたい私は自分の声と言うモノが嫌いだった。低くて少ししゃがれていて、若いころから悩みの種であった。電話で話すとたいていはおじさんだと思われてしまうし、目の前でしゃべってさえ、一瞬私ンも口から出た声だとは思ってもらえない。大人になってから、ある場末のスナックで歌っていたらそこのママに「あんたも煙草で声やられたのね」なんて言われたこともある。病院にも行って声帯手術を受けようかと思ったこともある。でもメスを入れて声が出なくなるのが怖くて辞めた。ボイストレーニングに通ったこともある。一年間のトレーニングで高い声は出るようになったが、どういうわけか普段話す声は変わらなかった。もう長年使ってきた地声に慣れ過ぎてて、今更高い声をだしてもどうにも不自然なのだ。中年という年齢になって、ようやく諦めはじめたというか、むしろこういう歳になると女性の声はおばさんのそれになって、ギャルみたいな高い声を出しているとむしろおかしいのだ。私にしてみれば実年齢がようやく声の年齢にと一致したといったところか。

 それにしても長年育んでしまった声へのコンプレックスというものはなかなか振り払えるものではない。そんな私に起きたこのマシンボイス変化は、むしろ喜ばしいことのように思えた。

 とここまで書いておいて、実は私は重大な嘘を書いた。ある朝起きたらマシンボイスになっていたのではない。実は先日交通事故に遭ってしまって喉がつぶされてしまったのだ。身体のほかのところに被害はなかったものの、運悪く喉のところを強打してしまい、息ができないくらいになって死にかけたのだが、幸い声帯を失っただけで済んだ。しかし声が出ないのは困るだろうということで、人工声帯を取りつけてもらったのだ。

 かつての人工声帯は悲惨なものだったが、二十一世紀中半ともなると技術は進んでいた。基本はロボットボイスだが、昔からカラオケや迷惑電話撃退で使われていたボイスチェンジャー技術でさまざまに声を変えることができるのだ。それだけではない。キーコントロール付きである。そう、もはや私は自由自在な声を持つことができたのだ。

 声帯手術を受けようと思ったり、ボイストレーニングを受けたあの頃の悩みが嘘のようだ。かわいらしく振舞いたいといには高い声にシフトして鈴のような声で話す。怒りをぶちまける時にはドスの利いたおっさんの声を出す。誰かを説得する時にはちょうどいい頃合いの太い声を出す。私は魔法の声帯を持っているのと同じだった。

 これで散々悩んできた歌だって……私は声に自信がない癖に大のカラオケ好きで、自分では歌が上手いと思っていたのだが、あるとき自分の歌を録音してみてからますます自分の声が嫌いになったという過去があるのだ。しかし今は……。新しい声を手に入れた私は、事故以来の全快祝いという名目で友人を誘ってカラオケの店にへ行くことにした。ここではじめてみんなに新しい私の声を披露するのだ。

 テーブルについた私はすぐに選曲をしてマイクを握った。J-Pop女王といわれる歌姫の名曲だ。ハイトーンの部分があるこの歌も私の新しい声なら大丈夫。首の横についているボイスコントロールキーを少しさわってキーを合わせる。イントロが流れて私はかわいらしい声で歌いだした。だが、みんなは以前私の歌を聞くときにはそうしたように軽く耳をふさいだり、隣同士で話をして歌から意識をずらして我慢していた……。

 マシンボイスによる新しい声はとても素敵だったが、音痴まではカバーすることができないということを私はすっかり忘れていた。

                                                    了


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