実生活が殺伐としていると、郷愁や懐古でバランスを取ろうとする。過去に良かったと思うものにすがり続けるわけにはいかないが、荒れた海を渡る鳥には止まり木も必要だ。そしてまた飛べばいい。ヘッセ(Herman Hesse)の本を読んだ。
最大の目的は中学校の国語の教科書にあった高橋健二訳の「少年の日の思い出("Jugendgedenken")」を読み返すことだった。本書にはこれのもとになった「クジャクヤママユ("Das Nachtpfauenauge")」が収められている。やはり良い。
ヘッセは少年時代に体験した牧場で過ごした日々を大切にしていた。「私の芸術でさえもが、あの牧場のすばらしいものたちにくらべればとるにたりないものに思われてくる」と。
過去の時間をもう一度体験することはできない。が、何かをきっかけに思い出し、悪くないものとして甦る。ほんの僅かでも自分の体験の中に良かったと思えるものがなかったら、未来を明るく見ることもできないだろう。
様々な蝶や蛾がカラーで載っている。ドイツ語では蝶と蛾をはっきり区別しないようだ。蛾も良く見ると美しい。こういう「大人の絵本」が家の本棚に収まっていたら、心豊かになれるだろう。最近は図書館で借りるだけで、本のコレクションは空のままだ。
蝶で自分が好きなのはコムラサキだ。ヘッセはアポロチョウを好んだらしい。
詩では「砂に書いたもの("In Sand geschrieben")」が好きだ。はかなく流れていくもの、持続しないものこそ美しいとうたわれている。美しいものは破滅に傾き、死に瀕しているように思われると。
蝶も生物の一生で見たら短いもので、幼虫や蛹の時間の方がずっと長い。しかも、飛び去ってしまった蝶を見かけるのはほんの一瞬でしかない。
ただ一瞬の、繰り返すことがない美しいその時を知っているから、またそれを得ようとして生きていけるのだと感じた。
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