「ふうん。本当に、そうじゃったのかえ?」
「本当に、そうじゃったのです」
拙生は確信に満ちた頷きをしながら、閻魔大王官の口真似をするのでありました。
「それは大変な事じゃのう」
閻魔大王官はちっとも大変そうでない口ぶりで云うのでありました。「それで、お手前は娑婆に逆戻る事になったと云う事かいな。しかしそんな程度の事なら、ワシがその裁決書類をもう一度箱に入れ直せば済むだけの事じゃわいの」
閻魔大王官はそう云いながら拙生の方に手を出すのでありました。「どうれ、入れ直して進ぜるから、書類をワシにお渡しくだされや」
「いや、書類は補佐官さんが上司の首席事務官と事後の処理を打ちあわせすると云って、その儘手に持って出て行かれました」
「何じゃ、全く拍子の悪いヤツじゃのう」
閻魔大王官は自分を棚に上げて補佐官筆頭を腐すのでありました。
「実は私はその顛末をすっかり目撃していたのですが、閻魔庁における閻魔大王官さんの格式を憚って、その時には何も云えなかったのです。閻魔大王官さんの権威は何人も、いや違った、何亡者も何鬼も犯す事が出来ないし、大王官さんのされる事に対しては何亡者も何鬼も、決して一言の注進も呈してはならないと云う鉄の規則がると、前に審問官さんとか記録官さんから伺っておりましたから、私も大いに畏れて遠慮したと云うわけです」
拙生は真面目な顔つきで、云うべきではない注進を、敢えて云っている無礼を詫びるように、深々とお辞儀をして見せるのでありました。
「そんな規則があるとは、ワシは今までちいとも知らんかったわい。しかしそう云う規則があるにしては、補佐官共はあんまりワシに心服しておるようには思えんがのう」
「ええと、実際に聞いた云い方では、閻魔大王官の裁決した審理結果書類は、閻魔大王官さん以外の鬼とかが触ることが出来ないと云う規則がある、と云う風でしたかな」
「ああ、決裁書類にはワシ以外は誰も触れられないと云う規則は、ワシも知っておるわいの。それは大事な亡者殿の生まれ変わりに、不正な操作が入る毛程の隙間もなくするための規則じゃわいの。しかしワシを敬え、なんと云う規則は、ワシは今以って聞いた事がないぞい。尤も、若しそんな規則が本当にあるのなら、ワシとしては大歓迎じゃがのう」
閻魔大王官はそう云ってワハハと笑うのでありました。「しかしそうであっても、それは閻魔庁職員の内規と云う事で、亡者殿は別にそれに縛られんのじゃろうがのう」
「それは補佐官さんから先程伺いました。しかし当然亡者も、その鉄の規則を順守すべきであろうと端から思っておりましたので、何も云わずにいたのです」
「ああそうかいの。まあしかし何れにしても、ワシの不手際でそうなったと判った限りは、補佐官が戻ってきたら裁決書類をもう一度、箱に入れ直して進ぜるわいの」
「いや、それは別に、敢えてして頂かなくとも結構なような、結構でないような、・・・」
拙生は閻魔大王官の厚意に対する気後れを、濁した語尾に表すのでありました。
「おや、これは異な事を宣うわいのう」
(続)
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