432. Die außerordentlichen Männer des sechzehnten und siebzehnten Jahrhunderts waren selbst Akademien, wie *Humboldt zu unserer Zeit. Als nun das Wissen so ungeheuer überhandnahm, taten sich Privatleute zusammen, um, was den einzelnen unmöglich wird, vereinigt zu leiten. Von Ministern, Fürsten und Königen hielten sie sich fern. Wie suchte nicht **das französische stille Konventikel die Herrschaft Richelieus abzulehnen! Wie verhinderte ***der einglische Oxforder und Londoner Verein den Einfluß der Lieblinge Karls des Zweiten! Da es aber einmal geschehn war und die Wissenschaften sich als ein Staatsglied im Staatskörper fühlten, einen Rang bei Prozessionen und andern Feierlichkeiten erhielten, war bald der höhere Zweck aus den Augen verloren; man stellte seine Person vor, und die Wissenschaften hatten auch Mäntelchen um un Käppchen auf. In meiner Geschichte der Farbenlehre habe ich dergleichen weitläuftig angeführt. ****Was aber geschrieben steht, es steht deswegen da, damit es immerfort erfüllt werde.(Johann Wolfgang von Goethe) 16世紀と17世紀の卓越した男性達は、我々の時代のフンボルトのように、自らがアカデミーそのものだった。知識というものが、恐ろしく急激に広まったとき、一人では不可能になることを、まとまって導くために、個々人が集まった。大臣達、侯爵達、王達とは、彼らは距離を置いたのである。いかに、フランスの静かなる秘密集会が、リシュリューの支配をはね付けようと試みたことか。いかに、オックスフォードやロンドンの協会が、チャールズ二世の寵臣達の影響力を妨げたことか。 しかし、その出来事が過去のこととなって、諸学問が国の統治体の一部としての感覚を持ち、行列やほかの式典で序列が付けられたとき、より高い目的は見失われたのである。人は自らを誇示し、諸学問もまたけちなマントを着てちっぽけなフードを被ったのである。私の色彩論の歴史においては、同様なことを非常に詳しく引きあいに出している。しかしながら、書かれてあるものは、常に実現されるために、書かれてあるのである。(ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ) *Humboldt: Friedrich Wilhelm Heinrich Alexander von Humboldt (1769-1859) **das französische stille Konventikel: アカデミー・フランセーズ(Académie française)を指す。この団体の始まりは、1630年頃から詩人コンラールの家で行われていた文芸愛好家による私的な集まりである。フランス国王ルイ13世宰相リシュリューが、これを公共機関とした。1635年に国王の勅許状が下り、公式に発足した。 ***der einglische Oxforder und Londoner Verein: ***der einglische Oxforder und Londoner Verein: ゲーテの『色彩論』歴史編第六、「第十八世紀」に、ロンドン協会についての記述がある。この記述によると、正確な起源は不確かだが、最初の記録によると、1645年にロンドンで自然科学者達により協会が、また1648年と49年にオックスフォードにて類似の協会が生まれた。その後、ピューリタン革命にあって、ケンブリッジとオックスフォードの両大学は、クロムウェルから多くの迫害を受け、沈黙を余儀なくされた。1660年イギリス国王チャールズ2世(在位1660-1685)が即位、王政復古となると、オックスフォード協会の会員達の大部分はロンドンへ赴き、活動を再開。このロンドン協会が、1662年に、チャールズ2世によって、王立協会となった。 ****Was aber geschrieben steht, es steht deswegen da, damit es immerfort erfüllt werde.: この文章には新約聖書の反映がある。 „Das geschah aber, damit erfüllt würde, was gesagt ist durch den Propheten, der da spricht.“(Matthäus21.4.) „Aber das ist alles geschehen, damit erfüllt würdern die Schriften der Propheten.“(Matthäus 26,56)
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