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使徒言行録 22章6~16節

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<『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。(10節)> キリスト者を迫害するため、訴状をもってダマスコへ急ぐパウロに、突然光が降り注ぎ、立っていられなくなった彼はその場に倒れた。そして「サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声を聞いた。 光りと共に投げかけられた声は、パウロを名指していた。「あなたはどなたですか」と尋ねると「わたしはあなたが迫害しているナザレのイエスである」と答えがあった。 聖書を日常的に暗唱し、教えられているユダヤ人たちは、自分たちを救って下さる救い主キリストがこの世に降りて来て下さると信じていた。しかし主イエスが何度も「わたしがそれである」と言われたにも関わらずそれを否み、十字架に架けて殺してしまった。 彼らの思い描くキリストは、もっと違う形で生まれるはずだった。例えば英国王室で生まれた男の子のように。そして、彼はたちまちローマを倒しユダヤに繁栄をもたらす人であり、十字架刑で簡単に死んでしまうような人ではなかった。復活の話も信じられなかった。 けれども、彼の遺志を継いだ弟子たちが人々を洗脳しユダヤに混乱をもたらし、大祭司たちはそのことでローマ帝国から厳しく忠告されている。パウロはイエス・キリストを信じる人々を迫害することに何の躊躇も、心の痛みも感じていなかった。 しかし、自分では立って歩くことができないほどの闇を与えられたパウロに「わたしはあなたが迫害しているナザレのイエスである」という声はまっすぐ届いた。 パウロはその声の主に「主よ」と呼びかけずにはおれなかった。目標とするものが空しいことであったことを知ったパウロは「どうしたらよいでしょうか」と言葉をつづけた。 主のお答えは原文によると「すべきこととしてあなたに定められていることは、すべてそこで語られる。」なすべきことは、すでに神によって定められていて、ダマスコに行けば知らされるということだった。 「パウロにとってこれは驚くべきことであったでしょう。教会の迫害者であったパウロを回心させ、異邦人への使徒とすることは、神の御心のうちに定まっていたことであったからであります。」と住谷牧師は説かれている。


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