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「独ソ戦史」「西部戦線全史」

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DVD「ベルリン陥落」を見て、第二次世界大戦における独ソ戦の実体を知りたくなった。 ①独ソ不可侵条約は急に結ばれた条約である。条約文書には国璽もなく封蠟もなかった。 ②ドイツ軍のソ連侵攻の情報はスターリンに山ほど届いていたが、スターリンは無視した。理由は解明されていない。 ③1940年6月22日ドイツ軍の攻撃開始。23日、ソ連に総司令部大本営が設置されたが、議長はスターリンではなく、ティモシェンコだった。 ④28日、ドイツ軍は白ロシアをほぼ制圧。怒ったスターリンは別荘に行った。翌日、国防人民委員部に行き、指導部を叱責。 ⑤30日、スターリンは戦時最高指導部の議長に就任。 ⑥7月19日、スターリンは国防人民委員を兼任することになり、名実共にソ連赤軍を掌握する最高司令官になった。 ドイツの侵攻から3週間たっている。なぜこうも時間がかかったのか。…共産党と軍部の関係がわからない。… スターリンは、戦争の途中から作戦面では参謀本部に任せて口を挟まなかった。 対するヒトラーは違う。作戦面で軍部と対立、しばしば有能な司令官を解任している。その結果、軍事力を低下させている。 ◎「ベルリン陥落」ではベルリン旧帝国議事堂に赤旗を掲げるのは昼間だったが、実際には午後10時50分頃で夜間だった。 ベルリン攻略はソ連軍単独で英米は関与しなかった。これは連合軍最高司令官アイゼンハワーとスターリンとの約束による。エルベ川で合流すると打ち合わせたからである。 首都ベルリン攻略の政治効果を考えて、英首相チャーチルは激怒した。米大統領のルーズベルトに連絡を取ったが、ルーズベルトは死の床にあって、対応できなかった。 結果として、ソ連軍がベルリンを攻略し、ヒトラーを自殺に追い込んだ。


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