Schamane そこはベルリンのライヘンベルガー通りの一角としか言えない。もちろん看板も屋号も印も色もあったものじゃない。示し合わせたように曇りがちが濃くなっていくと、亀裂で落書きも意味不明な壁という壁は暗褐色を深めていって、このあたりは旧東ベルリンだったかしらと訝りたくなったものだ。めあての番地の玄関段には猫がいた。純白なはずの背が徘徊の汚れと暗天で灰色がかって見える。猫は気だるそうに私を仰いだ。扉の郵便受けには上段に「舞 MYE・WAGNER」下段に「梁黄 RYAN・HO」とある。私にフロッピーディスクを送ってきたのは舞だった。 舞は半年前に焦げ茶色の防水紙の小包を航空便で送りつけてきた。 私は些か不愉快な心持で小包を破り開けた。ディスク一枚と下手な手書きの便箋が入っていた。私に作品を読んでほしい旨、ディスクが悪意あるものではない証として、東洋語学校の日本語教師の推薦文が添付されていて、ディスクにウイルス及びそれに類する危険性はないが、考慮されることは尤もゆえに安全管理下にあるソフトにて開示されること、尚且つ興味を持たれなくて棄却されても当方は了承する…そのようなことが書かれてあった。 肝心のディスクの中には、日本語による七つのファイルがあった。挨拶文のファイルには「ハンブルガーSVの高原を応援している二十九歳の女性で、父親がドイツ人で母親が日本人」らしいのだが「OCT・WAGNERの大株主で仕方なく役員に就いていますが、普段は日本語を教えたりしながら生活しています」とのことだった。やはり以前に勤めていた商社オクト・ワグネルの筋であった。それはさておき興味を持ったのはほかでもない。いきなりの「わたしは聾唖者です」のくだりを凝視してしまった。原稿を読んでほしいと依頼される柄ではないが、暇と妄想癖につけこまれたのか、続く「わたしが一〇〇ユーロで買った話を一〇〇〇円で、一〇〇〇ユーロで買った話を一〇〇〇〇円で買ってもらえませんか?もちろん、熟読していただいてからのご判断に依ります」という文を何度もなぞるように読んでいた。どうも探偵小説に大いに凝った少年時代の気分、それが暇な前頭葉を安易に小突いてきたのだった。 この不躾な売り込みとしかとれない一文のファイル、これ以外に六つのファイルがあった。六つの日本語ファイルは、短編というよりも掌編というべき所謂ショートショートだった。それぞれ作者名の代わりに「JLS30」とか「NPS14」などと付してある。「JLS30」を読んでみた。 パリのオペラ座で踊るアフリカ出身のバレリーナの話なのだが、地方で採取したグリム風の民話あたりを想像していたので、初っ端から仰々しい舞台設定に唖然とさせられる。そして本人による日本語の訳文、そのできすぎた流暢さに舌を巻いて幾度か読み止まっては、もしかすると悪戯好きな友人の狂言なのでは、などと一瞬一瞬疑ってもみて苦笑していた。さらに猫が見知らぬ人から与えられたクラッカーを探るように、疑心暗鬼のままに包みの隅々を辿り探ってみる。最後に挨拶と依頼の文をもう一度、熟読した。 私にとってドイツはいつも懐かしい国である。オクト・ワグネルは、排水の膜分離や放射性廃棄物の処理、といった特化した技術でアジアにまで進出してきた新興商社である。本社がフランクフルトなので、度々の研修や会議、見本市での集散などを口さがない連中は「ワルキューレ」とか「独逸参り」とか言っていた。そして私は探偵小説の次にはカフカに参っていた青春を披瀝していた。創業者の生誕地シュパィヤーでも、ドイツ語文書の翻訳を依頼していた在独の日本語講師と一晩、酔狂にまかせて文学談義に没頭していた。しかし、あれから六年が経っていた。雑文をものにしている身ではいるが、新世紀の悠長な日の本にあって、言語芸術にはさほど斬新さを期待してはいなかった。小説は女子の感受性にしか兵站を見出せないでいる。詩の層に至る掘削は、誰となく卑屈な響きをもって笑われた。私は南米の辛苦で汗馬な翻訳を抱いて不貞寝していた。そこへベルリンからディスクが送られてきた。たとえ紛らわしいものであろうと、屑拾いに終ろうとも…逡巡した挙句、遠方からの酔狂に乗じて一時遊ぶほどの器量がなくては、などと勝手に自分に言い聞かせていた。 私は傲慢な頤使(いし)ではないつもりだが、相変わらず慎重であることは否めない。しかし懐かしいドイツからの猫なで声には抗しきれなかった。訪問する旨、舞へ手書きの返事を書くことにした。 ともあれ残暑から逃れるように、十六度目のメランコリーな地へ降り立った。そしてこの後に及んで躊躇いながら呼鈴を鳴らした。 猫がわざとらしく寄りかかると同時に扉が開いた。当時ブンデスリーガのハンブルガーSVに所属していた高原を応援している二十九歳の女性、舞・ワグナーは柔道着のような濃紺の作務衣に身を包んで会釈して迎えてくれた。彼女は襟を合わせながら頬を緩ませた。赤毛の髪を短く刈り揃えて、度の強い眼鏡の奥には奥二重の眼差しがある。その瞳は受光によって黄金から虚褐へ変転して神妙なものがあった。そして綴じられた裏白紙の束とサインペンを、恰幅よい懐から取り出して微笑んだ。 最初に書かれた日本語は「はじめまして」だった。私は挨拶文のあとで「あの猫には名前があるのですか」と書き訊ねた。舞は鳥類の擬音めいた含み笑いをしながら「ネコ」と片仮名を書いた。 居間から食堂にかけては、さながら日本の小中学校の図書館のようだった。居間の暖炉の両脇の棚は、派手な壁紙のように漫画本によって占められていた。食堂で取り分け目に付くのは、高価な図鑑と段違いで置かれている依羅保(いらぼ)釉の壷だ。舞は自嘲するように「京焼です。京都、奈良そして東京しか行ったことはありません」と素早く書いて片目を瞑ってみせた。そして私は銅カップに入った濃いコーヒーを受け取った。 「すわっていいですか?」 「ごめんなさい。どうぞ、気がねなさらずにどこにでもお座りください」 私は日本の事務員のような流麗な走り書きに唸ってしまった。 「気がねなさらず、か…とても丁寧な日本語です」 舞は呼応するように私の乱筆を撫でながら低く唸った。 「ていねいを漢字で書く人を見たのは初めてです」 ベルリンの静かすぎる灰色の午後、私は単刀直入に書き込んだ。 「なぜ、私宛に送ってきたのですか?」 「平岡先生から指示されました」 舞は当然のようにそう書き綴ってから手招いた。廊下のように狭まった書庫を隔てた部屋は、スティール棚を連ねた密室そのものだった。奥まったところにアコーディオン式の銀繍の蝶を散らせたカーテン。荒々しく開かれると純白のテーブルと一冊の本が目についた。何気なく覗くとユダヤの経典「ゾハール」だった。舞は側頭を掻きながら勢いよく書きはじめた。 「交霊術はご存知ですか?」 「いいえ、まったく関心がありません」 「申し訳ありませんが、これから私が語る話には交霊術が関係します」 舞は病弱な母親と伯母の影響で、十三歳のときに初めて交霊術の席に顔を出した。驚愕の感覚を喜ぶべき会話にしたのは、筆記や手話を必要としない直接に脳髄を介した語り合いだった。そして霊界との感受疎通が最も高まっていた二十三歳のとき、極東の日本人の霊が降りてきたという。平岡は東京帝国大学法学部に在学中、学徒動員で徴兵されて南方へ従軍し、負傷兵として台北の病院で亡くなっている。そして平岡はドイツ語に堪能な文学青年で、舞に対してファウストの一節で語りかけてきて、時空を超えた文学談義に始まった関係は、回顧を交えた時評や生活指導にまで及んできているという。今や交霊の会合の煩雑さからは距離を置いて、一匹のネコと一人のリャン、そして昼夜を問わず霊界から語りかけてくる平岡先生と現世の一日一日を楽しんでいる。梁黄、リャン・ホーという半ば失明している華僑の男性との同棲生活も、平岡先生からの御沙汰に従ったことらしいのである。 「平岡先生はいつ頃、亡くなったのですか?」 「一九四五年八月十五日とおっしゃっていられました」 「平岡先生はゲーテが好きだった、いや、お好きなのですか?」 「いいえ、平岡先生がお好きな作家はトーマス・マンです」 舞はそう書いてからサインペンを落とした。私は一瞬にして呆けたような彼女の視線の先を辿った。音もなく蒼白な青年がカーテンの陰に立っている。小粒なサングラスをした乾いた唇の中国人は、重たげな漆黒のオイルド・セーターから骨ばった手をあげて微笑んで見せた。 リャンと舞は凄まじい掌上の会話をした。互いの十本の指が二人分の感情を我慢できぬように交差させる。舞は抗うように手を離すとサインペンを取った。 「彼は平岡先生の意思に従って、あなたに伝えたいことがあって帰ってきたのです」 私は後退るようにリャンを見るしかなかった。サングラスが黒ずんだ火傷痕を剥がすようにはずされた。眠り続けているような硬質な瞼。そして苦々しくにも見える淡い笑みに続いて、掻き寄せられて蹂躙される舞の麺皮のような掌。 「平岡先生が言われたことをそのまま伝えます」 舞は唸りながら書き飛ばした。 「私は平岡と申します。HОとは巴里で会いました。そのときHОは路上に寝ていました。維納から来て詐欺に遭い一文無しになっていました。私はHОに同情しました。私はHОを伯林へ誘いました。そこは私がかつて憧れた都市であり、私の師、森先生が若き日に学ばれたところです。そしてHОに合歓を会わせました。合歓とはFRAU・WAGNERのことです。合歓に日本語を手ほどきしたのは私です。なにとぞ、ご一読ください」 私は背に痒いような寒気を覚えて背筋をのばした。すると追い討ちをかけるように、したり顔のネコが膝にのってきた。 舞はそれこそ猫のように唸って懇願するように書き続けた。 「出版されるか否か、いずれにせよ、合歓とあなたにすべてを任せますが、よろしければ、私には骨入りの鯖缶をいただけたらと思います」 了
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