ちぇっ、またか。こいつはほんとうに……。岡谷三郎はパソコンの前に座って一人で毒づいていた。会社にパソコンが導入されてもう十数年も絶つのだが、岡谷はいまだにこういう機械にしっくりこないでいる。導入当初はいったいどうしたらこんなものが使えるようになるのかと戸惑ったが、十数年の歳月は、なんとか一通りの作業を岡谷に教え込んでいた。それでもパソコンのソフトは日々バージョンアップし、いままでやっていたことが突然できなくなったり、やり方が少し変わったりするので、岡谷のような人間は機械にバカにされているような気がするのだ。
いつもどおりに文字を入力しただけなのに、画面が少し淡くなって動かなくなってしまう。三つ目のソフトを立ち上げただけなのに機械が固まってしまう。さほど処理能力の高くない中庸の機種だからなのか、少し古くなってしまったからなのか、そんなことは岡谷にはわからないが、とにかくひとつもいうことを聞いてくれないと思うのだ。
ったく! なんやこの機械は。ちゃんということを聞けよ! 舐めとんのか? おいおい。ここで止まったらあかんやろう! ああっ! またか。またへんなんなって。これ、どうやったらええねん。どこを! どう! 押したら! 動いてくれるんや?
岡谷の隣には課員の由里子が座っている。彼女は岡谷から指示が出されたデータをパソコンに打ち込んだり、さまざまなデータをまとめるような仕事をしているのだが、隣にいる岡谷課長のことが気になって仕方がない。気になるというのは、心配だとか、好きだとか、そういうことではない。このかなり年上の上司がパソコンに向かっていつもぶつぶつしゃべっているのが耳触りで仕方がないのだ。向かいにいる先輩社員を見ると、彼もまた黙ってはいるがしかめっ面で岡谷の方にちらちら目をやっている。
「ほんまになんやねん。こんな機械になんで舐められなあかんのや」
由里子は黙って無視するようにはしているのだが、たまにキレそうになる。だからキレる前に一言注意をしてやろうと思う。だが相手は上司だ。下手な言い方をして怒らせてもまずい。もう少し様子を見るかと思ってまた我慢する。
「チェっ! どないなってんねん、これ。もうノートパソコンに変えるぞ!」
岡谷課長が言うには、ノートパソコンに変えるぞと言うと、動き出すのだそうだ。パソコンはひとの言葉がわかるのだという。きっとこの中におっさんが入ってるんやとも言っている。
「おーい! おっさん。ちゃんと動かんかい! そこにおりまんのんか、おっさん。おいおーい、おっさん!」
由里子はくすっと笑ってしまう。出た! おっさんワード。岡谷課長は機械を前にテンパってくるとパソコンに向かって”おっさん”を連呼しはじめるのだ。
おっさん、ちゃんと動け。こら、おっさん!
由里子は遂に口を出した。
「課長……パソコンの中からちっちゃいおっさん出てきますよ、やかましいゆうて」
一瞬、岡谷課長の手と口が止まった。由里子はしまった。言い過ぎたかと思って固まりかけたが、岡谷の視線は由里子には向けられていなかった。課長の視線はパソコンディスプレイに釘付けだった。由里子も何気なくそこに目を向けた。表計算ソフトの画面だったはずのディスプレイはブルー一色に変わっており、その真中が敗れたようになって、その中からまさに白雪姫の小人にも似た感じの小さいおっさんが何人か顔を突き出している。そしてその一人が小さい声で岡谷に向かって言った。
「おっさん、ちょっとうるさいわ」
了