つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)
- 作者: R. アクセルロッド
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 1998/05
- メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)この本、原作は1984年に発刊されたRobert Axelrod "The Evolution of Cooperation"というらしい。最近は「ゲーム理論」といったら非常によく耳にする言葉になっている。或いは、「囚人のジレンマ」という言葉も聞いたことがある方もいらっしゃるだろう。僕自身がゲーム理論を初めて知ったのは2000年代のはじめだから、意外と新しい理論なのではないかと思っていた。ただ、その頃から「繰り返しゲーム」というのは解説の中ではよく言及されていたので、それ以前から存在していた概念なのだろう。 本書はその「繰り返しゲーム」について述べている解説書である。
日常の人間関係を捉えるユニークな視点。人間社会、あるいは生物界に見られる多くの「つきあい」には、いろいろな利害対立がある。本書は、その中で「協調か裏切りか」というジレンマ状況を、ゲーム理論をとり入れた進化生物学の視点から解き明かす。
他人とのつきあいを続けていくうえで、相手に協調すべきなのはどんな場合で、自分本位にふるまうべきときはいつだろうか。この素朴な疑問が、本書の出発点である。友人であれば、決して恩を返さない友人にも親切に応じ続けるべきなのか。今にも倒産しそうな会社があれば、他の会社は助け舟を出すべきだろうか。ソ連が何らかの敵対行動に出た場合、アメリカはどんな懲罰を与えるべきか。アメリカがどういう行動のパタンをとれば、ソ連から最もうまく協調的な対応を引き出すことができるだろうか。この「反復囚人のジレンマ」というのは、通常1回を想定するゲームで起こり得る「囚人のジレンマ」――両者が共倒れになってしまう状況――が、ゲームが何度も繰り返されるというゲームの場合は、共倒れだけではない様々な状況が生まれ得るということを指している。すなわち、2人のプレイヤーが協調し合って双方とも利益をあげることも、片方が他方を出し抜くことも、両方とも協調しないということも可能で、言わばプレイヤーは短期間で終わるゲームと違い、多彩な戦略を出すことができるのである。 2人のプレイヤーは、ゲームの進行途中で相手の行動を観察しながら、相手が裏切った場合に、自分も裏切り返すことを宣言するといった形で、相手の裏切りに対する「しっぺ返し」(Tit for Tat)を用意することができる。そして、そのような「しっぺ返し」による威嚇で、相手の裏切りをあらかじめ阻止できる。「お前が裏切らない限りは自分も約束を守るが、もし一度でも裏切ったら、それ以降は俺もずっと裏切り続けるぞ」と脅しをかけるというものだ。なんだか、米ソ冷戦時代に両国が核ミサイルの発射ボタンに手を添えながらお互いを牽制していた、そんな状況がすぐに想起される。今でいえば、米国と北朝鮮だろうか。 そして、こうした威嚇の下であれば、ある程度将来の幸せを気にするプレイヤーなら、今裏切って一時的な利益を得るよりも、将来にわたってずっと安定的な利益を得る方がいいと思うだろう。そうすると、裏切りの誘惑はなくなり、相互に協力関係も生まれてくると考えられる。 そして、本書が示唆するところで、最も大きく僕らが日常生活で生きて行く上で重要と思われるのは、いみじくも本書の訳者が巻末の解説で述べている、次の点であろう。
これらの諸問題を生じる状況は、ある簡単な方法によって表現することができる。その方法とは、反復囚人のジレンマと呼ばれる特殊なゲームである。(はじめに)
私たちは経験上、知人との信頼関係を築くのに長い時間を費やすが、たった一度の過ちによって壊れてしまうことがよくある。また、誰かにひどく裏切られたことのある者が、容易に他人を信じなくなることも察しがつく。けれども、本書で論じた単純な状況の下では、こうしたやり方は勧められない。すなわち、一度くらい裏切られても、長く根にもたず、限定的な報復にとどめておくべきである。また、裏切られた相手との協調だけを諦めるべきである。それが本書の教訓の一部である。(p.202)他人との付き合いの中で、たった一度の過ちで人間関係が壊れてしまうことはよくあるが、本書は、一度ぐらい裏切られても長く根に持たず、裏切った相手に対する直接的な報復は赦されるとしても、裏切った相手と友好関係にある人々まで含めた人間関係の断絶や報復まではすべきじゃないと説いている。 そういうのは、これまで50年生きてきたなかで沢山あった。一度の裏切りに遭ってそれ以降10年以上にわたって連絡すらとっていない大学時代のクラスメートがいるし、インド駐在時代に本社のある部署の社員から、「背中から鉄砲で撃たれる」あるいは「はしごを外される」ような裏切りに遭ったこともある。たった一度の裏切りで、「もうこいつとは二度と一緒に仕事するものか」と思うのは、それが元々会う機会が少ない相手ならいいかもしれないが、どこでまた仕事上の接点が生じてしまうかもわからない会社勤めの場合は、それが仕事をしていく上でボトルネックになってしまうこともあるかもしれない。直接的に裏切った相手に対して心を開くことは難しいかもしれないが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という状況は避けるべきなのかもしれない。 なかなかできることではないけれども、やらなきゃいけないのだろう。