ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
アラン・ブロック著の「対比列伝 ヒトラーとスターリン〈第3巻〉 」をようやく読破しました。
〈第2巻〉は1940年の暮れ、ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の命令を下すヒトラーで
終わりましたが、この最終巻はもうソレしかありませんね。
ただし、ポーランド戦、フランス戦と細かい戦局までは書かれていませんから、
戦記ではなく、独ソの最高司令官がいかに大戦争に関与したのか・・が焦点です。
スターリンとソ連軍は、1937年の赤軍大粛清から立ち直っておらず、
将校の75%が1年足らずの経験しかない・・という有様で、
その粛清を逃れたクリーク元帥は、最新のカチューシャ・ロケットを理解できず、
赤軍の自動車化、機械化は不要だと断言する頭の古さ。。
ナチスの副総裁ヘスが英国に飛んで行ったことを猜疑心旺盛なスターリンは、
ヘスが英国情報部に招かれ、独英が協力してソ連に侵攻する秘密の交渉を
しているのでは・・??との考えが頭から離れていません。
そして始まったドイツ軍侵攻。緒戦の惨敗で意気消沈するものの、なんとか立ち直り、
最高統帥部(スタフカ)の最高司令官となったスターリンは、スケープゴートを探し、
ドイツ軍の突破を許した西部方面軍のパヴロフ将軍を逮捕。
拷問の末、軍内部のスターリン打倒の陰謀に加わっていたと「告白」したことで、銃殺。。
11月にはモスクワ攻防戦。
今度はヒトラーが最高司令官としてこの難局に立ち向かう番です。
両軍、消耗しきって戦線が安定すると、ドイツ軍の将軍が次々に去っていきます。
グデーリアンやヘプナーといった装甲部隊の司令官に、3つの軍集団司令官、
さらには陸軍総司令官のブラウヒッチュも辞任し、
「自分の知る限り、国家社会主義の精神を陸軍に浸透させられる将軍は1人もいない」
と断言して、総統自らが後継者に・・。
ドイツ軍が進撃をするにつれて、バルト諸国、白ロシア、ウクライナといった占領地を軍政から
直属の行政官による民政に移管すると言い出すヒトラー。
東方占領地省の長官として任命されたのはバルト生まれのローゼンベルクです。
しかし、四ヶ年計画の一環として、自分こそが占領地の経済開発の責任者であると
主張するゲーリング。
総統命令をタテに、占領地でアインザッツグルッペンを独立行動させるヒムラー。
そしてナチ党のトップとして、「政治的な意志の伝達者」として決定権を持つべきという論法で、
東プロイセンの大管区指導者、エーリッヒ・コッホをウクライナの民政長官に任命することに
成功したボルマン・・と、幹部たちの主導権争いの前に無視され、除け者にされ、
傷ついたばかりか忘れ去られてしまったローゼンベルク。。
著者はこのローゼンベルクが力説したとおりに、抑圧されてきたウクライナ人の伝統に訴えて、
集団農場を解体し、農民の土地保有を認めていたら、彼らを味方につけえただろうか。
ここはスターリン政権の最大の弱点となる狙いどころだったとしています。
確かに、「戦争と飢餓」を読んだり、本書を通して読んでいると、
その可能性はより大きく感じますね。
また、日本の真珠湾攻撃に伴う、ヒトラーの米国への宣戦布告については、
ヒトラーの計算違いをこのように解説します。
「米国がヨーロッパに介入してくるのは早くても1942年の末以降で、
その時までにはソ連軍を打ち負かせる、と彼は信じた。
そうすれば、ドイツ軍を西方での戦いに投入し、英米上陸軍をすべて海に追い落とせると
計算したのである。しかし、すべてが後手に回った。
英国を倒せないうちに、ドイツをソ連との戦争に突入させた挙句、
今度は英国もソ連も打ち負かせないうちに、米国との戦争にのめり込ませたのである」。
さて、対比列伝としては、2人の戦争指導も戦略的な指揮だけでは満足せず、
作戦面にも絶えず口を出し・・と、似たような傾向だとしています。
曰く、指揮官たちを前線から呼び出し、しかも作戦幕僚や彼らの上官に事前の相談もなし。。
または電話に呼び出され、命令を実行しなかったとして罵られ、新たな命令を下され、
しかもそれが戦闘の最中のことも・・。
2人とも、こうした行為が引き起こす混乱を意に介さず、他の誰も信用せずに将校をどやしつけ、
脅しをかけて、人間の耐えられる限界まで目的を追求させられるのは自分だけだと・・。
そんなスターリンは経験豊かな参謀総長シャポシュニコフ元帥には信頼感を持っていたそうで、
話しかける時も「シャポシュニコフさん」と呼び、執務室での喫煙を唯一、許すなど特別扱いです。
ヒトラーで言えば、やっぱりルントシュテット元帥になるんですかねぇ。
1942年には、「ただ守勢にまわって手をこまねいているだけではだめだ。
こちらからも打って出て、広範な戦線で機先を制し、敵を攪乱するべき」と語るスターリン。
そんなわけでティモシェンコによるハリコフ奪回作戦が実施されるものの、
逆に包囲され、23万人以上が捕虜となり、
レニングラード戦線でもウラソフ将軍指揮の第2突撃軍の9個師団が同じ運命を辿り、
セヴァストポリを解放させようと、メフリスを送り込んで喝を入れようとしたところで、
現地の司令官がよけいに混乱し、5月にはマンシュタインの第11軍には手も足も出ず、
21個師団が崩壊してしまうのでした。
そしてヒトラーが占領する決意を固め、スターリンが断固としてそれを阻む決意だった都市、
スターリングラードの攻防戦へ。
犠牲の大きさは別として、過ちを乗り越えて、ジューコフら、少数の将校グループと
以前より安定した関係を築き始めていたスターリンに対し、
時が経つにつれ、軍や参謀幕僚との関係が修復しがたいまでに悪化したヒトラー・・。
それはこの戦いによって、決定的なものへとなってしまい、
せっかく元帥にした包囲陣内のパウルスは名誉ある死を選ばずに降伏し、
参謀総長ハルダーも去っていくのでした。
「核分裂はもともとドイツで発見されたもの」で始まる核爆弾の話。
1942年の初めごろ、ドイツの核物理学者と討議したドイツ陸軍兵站部が出した結論は、
「戦争終結前に核爆弾の生産にこぎつけるのは不可能」というものです。
ただし、いつ戦争が終結するのか・・?? は、英米が長引くだろうと考えて、
そのために核開発に全力を注ぐわけですが、ドイツではロケット開発のほうが手っ取り早い。。
ヒトラーは核兵器の破壊力についてはあまり知らされていなかったようで、
ある物理学者が兵站部に、「この問題は軍の上層部で討議しては」と訊ねたところ、
「核兵器が製造可能と聞けば、ヒトラーは半年でソレを作れと言うでしょう。
それが不可能なことはおわかりだろうし、あなたも私も困った立場に追い込まれることになる」
と、こんなような経緯もあったようです。
ハイドリヒやアイヒマンが主導する、ユダヤ人の最終的解決の推移に、
ゴットロープ・ベルガーも登場する武装SSの拡大、
フランスに上陸した連合軍との戦いにも触れながら、ヒトラー暗殺未遂事件へ。
難を逃れたヒトラーは激昂し、恨みと怒りに、自分が正しかったことへの
安堵感をにじませながら言いつのります。
「ロシアにおける私の壮大な計画が近年、なぜ尽く失敗したのか、
いまにしてわかった。すべてが裏切りだったのだ!
あの裏切り者たちがいなかったら、我々はとうの昔に勝っていた」。
しかし軍事的危機の最中とあって、怒りに身を任せて目のつく将軍たちを片っ端から投獄したり、
射殺するわけにもいきません。妥協するのがどれほどイヤでも、
自分のために戦争を遂行してくれる将校団が必要なのです。
大管区指導者たちも、1934年にレームと突撃隊が国防軍に負かされたことを残念がり、
「もし勝っていたら、レームは国家社会主義の精神に裏打ちされた軍を創設したことだろう」。
同じころ、東部戦線では「ワルシャワ蜂起」が起こり、スターリンが軍を停止したことについて、
著者はこのような解釈をしています。
「スターリンは蜂起に腹を立てたばかりでなく、不意を突かれたようだった。
ソ連軍の主力の進撃に勢いがなくなり、ヴィスワ川前線でのドイツ軍の
思いがけない反撃を考えれば、ロコソフスキーの軍隊が戦線を突破して
ワルシャワ蜂起軍を救うことは、たとえスターリンが望んだとしても困難だっただろう。
そしてまた、スターリンにはそれを望む理由などなかった」。
遂に1945年の4月を迎えたベルリンの総統ブンカー。
シュタイナーの軍がまだ編制中であると聞かされて、ヒトラーは感情を爆発させます。
「いまやSSさえ嘘をつくのだ。すべてが終わった。戦争は負けた。死ぬほかない」。
その大荒れの翌日には、覚悟を決め、優しくさえなったヒトラー。
南を目指して発つカイテル元帥に食事を命じて、彼のかたわらにじっと座り、
長い道中を気遣って、サンドウィッチとブランデーを持たせることも忘れません。
こうしてヒトラーがエヴァとともに自殺してしまうと、322ページからは
「スターリンの新秩序」の章が始まります。
日本の千島列島を奪っただけでなく、日本本土にソ連占領地域を設けるよう
トルーマン大統領に強く迫るスターリン。
ヘタしたら東西ドイツのように、「北日本」と「南日本」になってたり、怖いなぁ・・。
また数百万の解放された捕虜やドイツへの強制労働者らに対しては
同情ではなく、疑いの目で見ます。
それは対独協力者か反逆者、外国の思想にかぶれ、危険思想に染まっている者・・。
もちろん、解放された彼ら(彼女ら)はNKVDによって、「再教育」のために収容所行きです。。
1947年にスターリンがふとしたはずみで「ロシア国民は北極海への安全な出口を夢見てきた」
と言ったばっかりに、ツンドラを横切ってイガルガに達する、長さ1800㌔の鉄道の建設に
何万という囚人が駆り出され、これは「死の鉄道」として莫大な人命を犠牲にしながら
850㌔まで完成したものの、スターリンが死ぬとプロジェクトはあっさり放棄されて、
施設と機関車は雪に埋もれて、錆びるにまかされた・・ということです。
頂上にいる者とて安心してはいられません。
1946年、スターリンはジューコフをクレムリンに召還します。
「ベリヤの報告によると、きみは米国人や英国人と不審な接触をしているとのことだ。
ベリヤはきみが連中のスパイになるのではないかと考えている。
私はそんな馬鹿げたことは信じない。
だが、そうはいっても、しばらくモスクワを離れた方がよかろう。
オデッサ軍管区の司令官に任命するよう提案しておいた」。
本書を読んでいるとわかるんですが、スターリンは「命令」しないんです。
あくまで「提案」するだけで・・。
その提案を然るべき部署や委員会が決定したり、死刑判決の署名にしても
必ず誰かにも署名させることで、後に結果が良ければスターリンの手柄となり、
失敗や批判が出てくれば、決定や同意した人物の責任になる仕組みです。
1949年にソ連の占領地であるドイツ東部はドイツ民主共和国となり、
その時を境に、再び、粛清が始まります。
ハンガリーの内相ライクはスパイ容疑で銃殺。
ブルガリアの副首相コストフは、同志を告発させるための拷問から逃れるために
ソフィアの警察本部の窓から身を投げます。
しかし両足を骨折したのみで未遂に終わり、結局は絞首刑。
アルバニアの第3副首相ホウヘイは「チトー主義」の容疑で処刑と、
チェコスロヴァキアでは230万人の党員のうち1/4が粛清され、
ポーランドと東ドイツで30万人、ハンガリーで20万人といわれているそうで、
ヒトラーとスターリンに刃向って生き延びた共産主義者は、チトーだけ・・。
ソ連国内でも粛清が行われていますが、これはNKVD長官でベリヤの
策謀であることがほとんどです。
ベリヤは前任者のヤーゴタとエジョフのように破滅させられないように警戒し、
スターリンはベリヤが先手を打って自分の命を狙うのでは・・と目を光らせます。
どこへ行くにも飛行機は使わず、列車に乗るときは同じ線を走る列車は全て運休にし、
2、3組の列車が別々に発車して、そのどれに乗るかは最後の瞬間に
スターリンが決める徹底ぶり・・。
こうして裏切りと暗殺を恐れていたスターリンも1953年に倒れます。
娘のスヴェトラーナが語る最期の様子。
「断末魔の苦しみは凄まじかった。いよいよ臨終と思われたとき、
父は突然目を開き、全員を見渡した。それは恐ろしい眼差しで、狂気か怒りを帯び、
死の恐怖に満ちていた。突然、両手を持ち上げ、上空の何かを指すような、
私たち全員に呪いをかけるような仕草をした」。
彼女の回想録、読んでみようかなぁ。
このように後半は、死んでしまったヒトラーに対して、さらに危険な頑固ジジィになっていく
スターリンが強烈な印象を・・という後味が残ってしまう本書ですが、
「戦争が終わったら後継者に譲って引退したい」と語っていたと云われているヒトラーも、
もし独ソ戦に勝っていたら、そうそう引退はできないんじゃないかと思いました。
絶対的な後継者がいたわけでもなく、引退して権力を失えば、ナニをされるかわかりませんから、
スターリンよりも10歳若いヒトラーは、まるで「ファーザーランド」のように、
1960年代になっても、死ぬまでその地位に就かざるを得ないんじゃないでしょうか?
独裁者というものは、そのような運命を背負っている気がしますね。
まぁ、1巻ごとに大変なボリュームのあるこの対比列伝ですが、
グッタリと疲れながらも、こうして振り返ってみると、
2人の似た部分を無理やり比較するような安直な本ではなく、
〈第1巻〉はヒトラーがどのようにしてナチス・ドイツをつくり上げ、
スターリンがボルシェヴィキ・ソ連に君臨するようになったか・・?
〈第2巻〉はこの2ヵ国を中心に、なぜ第2次世界大戦が起こったのか・・?
そしてこの〈第3巻〉は独ソ戦に、スターリンを中心とした戦後の冷戦・・と
独立した本と言えるかもしれません。
なので、ヒトラーとスターリンの生い立ちから読むのは嫌だなぁ・・という方なら、
〈第2巻〉から、もしくは戦記好きの方なら〈第3巻〉をまず読んでみるのも可能ですね。
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