『忘れられたワルツ』 絲山秋子 著 女性作家の小説はふだんあまり読まないのだが、絲山秋子は例外だ。 出版されればすかさず買って読む。ほとんどはずれはない。 絲山氏の文章は何度読んでもしみじみと、良いなあと思う。 細部まで心を配り、丁寧に選ばれた言葉でつづられる端正な文章、 切れ味鋭いせりふ、そして極上の物語。 日ごろ、小説もエッセイもノンフィクションもざくざく 読み飛ばしているけれど、絲山氏の文章は簡単には読み飛ばせない。 何度も繰り返し同じ個所を読み返し、時には音読したりもする。 そうして文章を反芻するように楽しむうち、 読み終わるのが惜しくなってしまうこともたびたびだ。 本書に収録された7つの短編はバラエティに富んでいて、 著者の多彩な作風、表現の巧みさを存分に味わうことができる。 いずれもシチュエーションや登場人物は異なるが、 不安や絶望の影が色濃く落とされている点で共通している。 具体的な名称などはいっさい記載されずとも 2011年の東日本大震災後に書かれたことが明らかにわかる作品群だ。 一作目の「恋愛雑用論」の書き出しで、いきなり心をつかまれる。 ――恋愛とはすなわち雑用である。不要でなく雑用である。 雑用は雑用を呼ぶ。仕事でも家のことでもなんでもそうだと思う。仕事は忙しい人に頼めというが本当に頼まれる。そういう時期に限ってオトコというものが現れる。人類の半数を占める性別としてのそれではなく、おつき合いしませんかとにこにこ寄って来る酔狂な輩である。しかしあちらは断然ヒマそうにしている。そんなオトコにつき合うのは雑用でしかない。しかし決して不要ではないから関わってしまう。―― 著者のシビアな視線とユーモア、サービス精神が凝縮された文章だ。 なるほど、恋愛をこうとらえる見方もあったのか、と思わずにやりとしてしまう。 そんな書き出しで始まる本作は、小さな工務店で働くOLを主人公とする物語。 掃除や事務仕事、会社に来た人の応対などをしたりして毎日を過ごす中、 会社を頻繁に訪れる信用金庫の営業マン“小利口くん”とのやりとりを中心に描かれる。主人公の日下部より少し年下 “小利口くん”(本名は金子)の 「最近、なんかいいことありました?」という質問に どうこたえてやろうか考えたり、時にはからかったりして 相手の反応を楽しむ、恋愛前段階の雰囲気が微笑ましく描かれている。 「葬式とオーロラ」は、高速道路のパーキングエリアで偶然知り合う男と女の物語。 巽は恩師の葬式に駆けつける途中、 女は仕事でオーロラを発生させる装置を運んでいた。 馴れ馴れしく話しかけてきた女を最初は疎ましく思う男であったが、 何度か会ううちに会話を交わすようになり、帰路では女に会えるだろうかと 期待をしつつ、車を走らせる。 著者の作品によく登場する、クルマで移動をするシチュエーションがとてもいい。 車窓から見える景色、走りながらとめどもなく考える物事など、 孤独な空間でしずかに移ろいゆく人の意識の流れが非常に興味深い。 中でも印象深いのは、最後に収録されている「神と増田喜十郎」。 主人公の増田は、女装を趣味としているが、 それ以外はとりたてて特徴のない普通の人間だ。 市長になった同級生の秘書のような仕事を長い間していたが、 同級生は引退後あっという間に亡くなってしまった。 その彼の七回忌の帰り、同級生の妻から、一緒に温泉に行こうと誘われた――。 そんな増田の日常と、「神」の独白が交錯する。 ラスト近くの「神」の独白はあまりにも衝撃的で、不意に胸を突かれてしまった。 日々の暮らしを穏やかに過ごしているように見えて、 不意に何かを思い出すときがある。 言葉を発することができなくなり、どこへ行けばいいのかもわからなくなり、 不安だけが大きな塊となって押し寄せてくる。 何も変わらないように見えて、 そうした瞬間が誰にでもあるのではないだろうか。 あの時以来、私たちは心の隅で いつも不安を感じながら日常を過ごしているのではないだろうか。 そうした現実を冷静に受け止めるとともにリアルに描き切るところに 著者に誠実さが表れているように思えて、やがて心はしずかに揺れる。
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