先日、三沢の航空博物館へ行ってきた。ちょうど特別展で、映画『山本五十六』に使われた零戦21型と、十和田湖から引きあげられた一式高等練習機が展示されていた。映画『風立ち』の影響もあってか、書店にも零戦本は多い。まだ読んでいなかった『零戦の遺産』堀越二郎を買って、ぱらぱらと読んだが、不思議にもポール・ケネディとおなじ意見が述べられていた。「むしろ中堅以下の平均は、世界のなかでも高い点数をもらえるような働きをしたのではなかったか」――ポール・ケネディのEngineers if Victoryは、まさにその中間層の働きを遺憾なく描いている。堀越は、イギリスが戦闘機の生産を数機種に絞ったことを指摘し、日本が試作機種を増やし、資源を分散したことは大きな過ちだったとしている。日本の陸軍と海軍がてんでんばらばらに作戦を行ない、その両者を統帥する機構がなかったことは、ケネディも指摘している。、また、零戦の改造の速度が遅かったことを欧米はたびたび指摘しているが、これも「重点配分政策」が確立していなかったためだと、堀越はいう。今回、Engineers of Victoryを訳し、『零戦の遺産』を読んで、彼我それぞれの視点による物事の表と裏が見えてくるとともに、科学的思考がいかに大切であるかをあらためて考えた。本書については、書きたいことがいっぱいある。そのうち、すこしずつ書いていくつもりだ。
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