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使徒言行録 20章13~38節

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<どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によってご自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者になさったのです。(28節)> 第二回の宣教旅行は、北ギリシャのマケドニア州を離れ、船でアジア州アソスに向かい、ミティレネを南下してミレトスに到着した。パウロはエフェソに立ち寄る時間を惜しみ、エルサレムへの道を急いだ。そのため、パウロはミレトスにエフェソの長老たちを呼び寄せた。 できれば五旬祭にはエルサレムに着きたいと思っていたが、フィリピで過越祭を過ごしたので、あと50日も残っていなかった。エルサレムでは、ユダヤ人指導者たちが執拗に教会を攻撃しキリスト教徒たちを苦しめていた。その窮状を一刻も早く救いたいと願っていた。 「今日の箇所は、パウロが彼らを前に行った、パウロの遺言ともいうべき説教の一節であります。教会は神が御子の血によってご自身のものとなさった羊の群れであると説き、教会に連なる一人一人の人を尊い十字架の血潮によって贖い取られたかけがえのない羊として大切にし、配慮するように命じています。」と住谷牧師は説かれる。 出エジプトより、長老はイスラエル部族制度の中で、家族、氏族、部族を代表し、それを取り仕切る任務を帯びていた。後には王の顧問の術語、さらには国の最高法院の議員の一部を指すようにもなった。長老制は現在に至り、私たちの教会でもその制度を取っている。 私たちの教会では、長老は総会において選挙で選出される。そのことを通して、神の所有である羊の群れを、御言葉によって正しく養うように、神が長老を任命し、監督者として立てられたと考える。選出された者は御言葉に照らして自分自身を注意深く吟味することが求められている。 パウロは「エルサレムでは、投獄と苦難とがわたしを待ち受けている。しかし、自分の決められた道を走り通し、主イエスから頂いた神の恵みの福音を証するという任務を果たしさえすれば、この命すら惜しいとは思いません。」と彼らに告げた。 そして、「あなたがたがもう二度と私の顔を見ることがないと私には分かっています。」と続ける。人々は激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻し、非常に悲しんだ。彼らはパウロを船まで見送りに行った。

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