おもしろかった!
お家騒動、仇討ち、重苦しい事情を背負って
国許を発ち、江戸にでてきた若侍・笙之介は
剣術が苦手で温和な性格であり
「精悍」「武士(もののふ)らしい気概があふれた」
などという形容詞とはほど遠い愛すべき好人物。
そんな彼の人柄が物語をやさしく包みこんでいるようです。
にぎやかな長屋暮らし。
助け合うのがあたりまえ
それでなければ生活していけない。
さまざまな事情を抱える住人たち。
「知っていて気にしていない」
田舎から出てきた訳あり青二才の侍を
受け止めてくれる場所。
そこで出会ったのは、かわいらしい桜の精。
はかりごとの重苦しさに、
「Boy Meets Girl (笙之介と和香)」の甘やかさが
彩をそえて、後味の良い物語になっていました。
「ささらほうさら」
あれこれいろんなことがあって大変だ、
騒ぎだっていうときに使う言葉。
これは「ささらほうさら」と「桜ほうさら」のお話です。
舞台は江戸深川。
主人公は、22歳の古橋笙之介。
上総(かずさ)国搗根(とうがね)藩で
小納戸役を仰せつかる古橋家の次男坊。
大好きだった父が賄賂を受け取った疑いをかけられて自刃。
兄が蟄居の身となったため、江戸へやって来た笙之介は、
父の汚名をそそぎたい、という思いを胸に秘め、
深川の富勘長屋に住み、写本の仕事で生計をたてながら
事件の真相究明にあたる。
「事件の真相」は苦いものでした。
しかし笙之介にはすでに自分の居場所がある。
周りの人の手を借りながらも真っ当に暮らし
居場所をつくりあげてきたのだから
きっとこれからは平らかに生きていけることでしょう。
「扱いの難しい」桜の精・和香も傍らにいてくれます。
和香の守り役をつとめる女中の「おたつさん」
じゃなくて「おつたさん」 ・・・ああ間違えたらおこられる
巨漢で、気配りの利くおつたさん、大好きです。
お嬢さまとのざっけないやりとりも楽しい。
長屋での日常を読むのが楽しかった。
映画『花よりもなほ』(主演・岡田准一)の
長屋のイメージが頭に浮かびました。
あれも仇討ちを果たしに江戸に出てきた
剣の腕がからっきしの若侍の話でした。
「笙之介も江戸へ出てきて、町場の暮らしでは
武士も町人もない、身分の差など、普段の暮らしのなかでは
誰も気にしないということに馴染むまで、
同じように当惑したものだ。」
笙之介は馴染むことができても
あくまで出自にこだわり、馴染もうとしない人もいる。
笙之介は江戸に出るべきだと取り計らった東谷様は
さすがに見る目のあるお方ですね。
以下、未読の方はご注意を、だらだらと長いです。
(たいしたこと書いてません、スイマセン)
笙之介は兄を恨まない。
「古橋の家は、俺には檻のようだった」
だから、兄・勝之介は古橋家を潰した。
古橋家がなくなればおまえの身を立ててやろうという
甘言に乗せられ、父の命を差し出した。
不幸を嘆き、今の境遇を嘆く母の毒が
勝之介の生来の気性と相まって
猛毒となり勝之介を動かしたのでしょうか。
母を案じる坂崎重秀の胤ではないかと
勘ぐり期待する気持ちも
毒のひとつになったのかもしれない。
「人の世では、親子でも相容れないことがある。
解り合えないことがある。
気持ちが食い違い、許し合えないことがある。」
「どれほど思っても、通じないことがある。
立場と身分が、想いの真偽を入れ替えることがある。
誰かが大切に守っているものが、
別の誰かに弊履の如く捨てられることもある。」
笙之介は兄を恨まない。
「そなたの父が真に望むことはどちらであろう。」
「とね似」の主人への金吾郎の言葉は
すべてが終わったあとの笙之介の心に響きます。
これからの身の振り方を考えたときに。
「嘘は、一生つきとおそうと
覚悟を決めたときだけにしておきなさい。」
嘘は釣り針に似ている。釣り針の先には返しがついている。
嘘をつくなら、一生その鈎を心に食い込ませたまま
生きようと思うときだけにしなさい。
それは幼いころに聞いた父の言葉。
笙之介は人生をかけて嘘をつき通し
違う名前で生きていく。
やるべきことも見つかった。
いつか勝之介に会える時がくるのだろうか。
押込御免郎のような者になっているかもしれない兄。
「富の偏り」
国許にいたころは城下と村の暮らしに隔たりがあった。
しかし、江戸と搗根(とうがね)藩での暮らしの差は、
その比ではなかった。
長屋の貧乏所帯でも、一日に一食は白飯を食べている。
国許では、藩士でも下級の家は雑穀混じりが当たり前。
「搗根(とうがね)の日常の<普通>は、
江戸市中の物差しをあてれば<貧>になる。」
こういう描写がとても印象に残りました。