山岡鉄舟のことをちょくちょく書いている.。
「おれの師匠」は、これまでも繰り返し読んできたのだが、繰り返し読むほどのおもしろさの正体はどこにあるかというと、読んでいる当人がよくわからない。
大きすぎて捉えきれないのかもしれない。言葉で安直にまとめられないほど、広がりがあるのかもしれない。
若い頃は、坂本龍馬が好きで、龍馬の仲介者としての行動力のようなものに憧れていたように思うのだが、年をとるにしたがいそれほどでもなくなって、だんだん鉄舟に思いが移ってきた。仲介者としての役割ひとつとってみても、やはり鉄舟の方が大きいように思う。
「おれの師匠」を読んでも、人によっては、さほどの感興をもたらさないかもしれない。「ただの偏屈オヤジではないか・・」で済まされてしまうかもしれない。
他の人がソノヨウニして切り捨ててしまうところを、「捉えきれない」「まとめられない」などと言って、自分の願望のようなもので埋め合わせながら読んでいるだけなのかもしれない。
(鉄舟のまじめな研究をしているサイトを見つけましたので、ご紹介いたします。)
http://www.tessyuu.jp/archives/cat1/index.html
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