「ニッコロ・マキャヴェッリ」
Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。著書に、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考(ディスコルシ)』、『戦術論』がある。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始した。日本語では「マキャヴェリ」「マキャベリ」「マキァヴェリ」「マキァヴェッリ」など様々な表記が見られる。(ウィキペディアより)
ローマの歴史が好きだったので、それ関連では最も著名な塩野七生さんの著作をよく読んできた。この本はそんな塩野作品の中でも異色といえる「語録」形式をとっている。長編を得意とする塩野女史がなぜこのような「語録」形式にしたのか。その理由を塩野女史は本の冒頭でこう語っている。(以下「続きを見る」でご覧ください。だいぶ意訳して書いていますので、原文とは異なります)
「私がこれまで書いてきた人物なり国家は明確な著作を残してこなかったのです。ゆえに彼らを書いていくには歴史資料と想像力で補うしかなかった。加えて彼らは政治や芸術という形で、国家なり個人なりの足跡を表現していたのです。これに対してマキアヴェッリは明確な形で、明確な意思を持って、自らの考えなり思想を世に問うた。それが政略論や君主論なのですが、つまり実際に使える思想、方法論なりを著作に残したのです。だから私はあえてそえを小説という形で加工するつもりはないし、そのままを抜粋する形で、その思想の普遍性をまとめようと思いました」
実際にこの本はマキアヴェッリの残した著作からの抜粋と訳文で成り立っている。16世紀に生きた人の書き残したものであるから、内容は現代では使えないかというと、それは全く違う。
確かに戦術や戦争に関しては、マキアヴェッリ自身も「戦争は技術の影響を深く受けるために、時代によって変遷するのが常である」と述べているため、時代の制約を受ける最もたる分野である。
しかし政治や国家論では、そこに科学技術が入り込む余地が比較的少ないために、マキアヴェッリが生きた当時だけではなく、現在のそれにもよく当てはまるのである。それも洋の東西を問わずに。その理由はおそらく政治や国家というのは、人間そのものの「技術」「努力」の集大成であり、人間というのは古来から本性が変わらない生き物であるからだろう。歴史は人間そのものなのである。
本書の中で特に気に入った文章を一部抜粋させてもらおうと思う。
「なぜ時代性を重視するかというと、人間というのは名誉であろうと富であろうと、各自が目的と定めたことの実現に向かって進むとき、種々さまざまな生き方をするものだからである。慎重にやるものもいれば、大胆果敢にやるものもいる。(中略)しかし同じように慎重なやり方をしたのに、一人は成功し、他の一人は不成功に終わる場合もある。また一人は慎重主義で、他の一人は果断にやるのが好きという具合で、気質ならばまったく逆なのに両者とも成功する場合がある。この理由は第一に、彼らのやり方が時勢と一致していたかいなかったかにあるのだ。(中略)運命は変化するものである。それゆえ人間は、自分流のやりかたを続けても時勢にあっている間はうまくいくが、時代の流れにそぐわなくなれば失敗するしかない、ということである。
わたしははっきりと言う。
慎重であるよりは、果敢であったほうが断然よいと。
なぜなら運命の神は女神だから、彼女に対して主導権を得ようと思うなら、乱暴に扱うことが必要なのだ。運命は、冷たいほど冷静に対してくるものよりも、征服したいという欲望を露わにしてくる者のほうに、なびくようである。要するに、運命は女に似て若者の友である。若者は、思慮に富んでいないがために後々のことなど考えず、より激しく、より大胆に、女を支配するからである」
「私ははっきりと言いたい。運は制度を変える勇気を持たない者には、その裁定を変えようとしないし、天も、自ら破滅したいと思うものには、助けようとはしないし、助けられるものでもないのである、と」
「常に衆に優れた人物は、運に恵まれようと見放されようと、常に態度を変えないものである。(中略)運命に振り回されやすい性向は、実は受けた教育の結果であることが多い。(中略)なぜなら、教育は人間社会を知ることを教えてくれるものなので、その変転の激しさを理解できるようになり、そのいかんにかかわらず、動じない性格をつくりだすことになるからだ」
以上の言葉は個人にも、組織にも両方当てはまることだと思う。これらの言葉を胸に明日を懸命に生きようと思う次第。
関連サイト→MEDITERRANEO 塩野七生の世界
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