内容紹介
*集団と群集の行動を科学する
社会的動物ともよばれるように、人は他者やグループとのつながりの中で生活を営んでいる。人が多数集まった際にどのような行動や現象が生じるのかを、具体的な研究例や実際に起こった事件の分析なども取り入れつつ解説した入門書。集団と個性の理解のために。
先月近所の市立図書館を物色していて、目についた本である。特に、冒頭に数章ではプロ野球の事例を頻繁にとり上げていたので、しっかり読みたくてついつい借りてしまったというわけ。二部構成になっていて、第1部の「集団」はなかなか面白かったけれど、第2部の「集合と群衆」は、プロ野球のケースが全く出て来ず、全般的に事故や事件の記録となっていて、既存の事例分析について紹介している点はいいにせよ、正直なところ事故や事件の経過が幾つも列挙されているだけで、そこから一般化して何が言えるのかが必ずしも十分説明されているとは思えなかった。第1部は有用だと認めるけれど、第2部はあまり面白くなくて、かなり飛ばし読みした。(第2部が今僕自身が取り組んでいることとあまり関連性がないというのも大きい。)
飛ばし読みしたとはいえ、第2部でも興味深い記述が見られた。例えば、第9章「危機事態の行動の実証的研究」の第2節で、航空機事故の分析結果が紹介されている。これは、1996年6月に福岡空港で起きたインドネシア・ガルーダ航空旅客機の着陸失敗事故で、著者も含めた研究グループは、被災した乗客に聞きとり調査を行ない、事故直後にどのように行動したのかを明らかにしている。そして、この事故のケースでは、危機状況なのに日常の絆がバラバラに壊れて、人々が我先に逃げるというのではなく、危機の程度が高くても日常の役割(リーダーシップ)や絆(援助行動)が顕在化していること、密度が高い状況では被災者は自分は理性的だが他者は非理性的な行動をしたと考える傾向があること、危機知覚よりも密度の高さの方が群衆の理性性をかえって高めるが、他者の存在によってもたらされた危機、人間による危機が、混雑や盲目的追従といった非理性性を高めることなどが示唆されるとしている。こういうのは、先だってのサンフランシスコ空港で起きたアシアナ航空機の着陸失敗事故でも調査が行なわれていくことだろう。
全体的に言うと読本としてはいいと思うが、実践となるとどうかという気がした。自分自身の目下の問題意識に照らし合わせればイマイチで、本の選択を誤ったような気もしたが、それでも参考になった箇所を2つぐらいは紹介しておこう。
1つは第4章「リーダーシップ」の第3節で紹介されている、米国陸軍マニュアルにある「リーダーシップの原理」というのは、リーダーとなった場合に自分に何が求められているのかを考える上で、一種のチェックリストとして有用かもしれない。
【リーダーシップの原理】(pp.91-95)
①自分自身を知り、自己啓発を続ける。
②戦略や戦術に精通する。
③進んで責任を引き受け、また自分の行為の結果に責任をとる。
④時宜に適った決定をする。
⑤身をもって範を示す。
⑥部下を知り、その精神的・身体的健康に気を配る。
⑦部下に率直に情報を伝える。
⑧部下に責任感を植えつける。
⑨課題を自家薬籠中のものにする。
⑩チームをまとめる。
⑪部下集団の能力に従って課題を遂行する。
もう1つは、第2章「集団のパフォーマンス」の第1節にある「集団のパフォーマンスに影響する要因」に挙げられた2つの事例である。
集団成員の能力やパーソナリティと成員構成についてであるが、一般にメンバーの能力が高ければ集団全体の成果も高くなる。ジョーンズ(Jones、1974)やウィドマイヤー(Widmeyer、1990)の研究によれば選手の能力の平均値とスポーツチームの勝率の相関は野球では0.94、バスケットボールでは0.60であった。このことはスポーツにより個人の能力が勝敗に影響する程度が異なることを示唆する。プロ野球の場合、チームの成績が振るわなかったとき、監督が責任をとらされて辞めさせられることが多い。しかしテニス、サッカー、バスケットボールと比べて、野球が最も選手の能力が勝敗に影響することが明らかになっている。その分、野球は監督の影響が少ないともいえる。(p.31)
へ~、そうなんだ。ということはですね、前任の落合監督時代と比べて現在の高木監督の下で明らかにチーム成績が下がった中日ドラゴンズの場合、監督をクビにしただけではチームは浮上しないと考える方がよいということになる。ただ、上記の研究の場合、この「選手の能力」というところにカギがあるような気がしている。つまり、米国の場合は選手は個人事業主という考えが強く、能力強化は先取個人の努力に委ねられるところが大きいが、日本の場合は球団が選手を育てようとするので、「選手の能力」という変数自体が監督のチーム育成の手腕に相当依存するところが大きいのではないかという気がする。逆に、サッカー日本代表の場合、選手は盛んに「個の力を高める」と言うが、それ以上に大事なのは監督の手腕ということが言えるのかもしれない。
もう1つ、この節で意外だった先行研究レビュー結果は、多様性が集団全体のパフォーマンスに与える影響については微妙だという記述である。
人種、民族、年齢、性別に関する多様性については、一貫した結果は見出されていない(Williams & O'Reilly, 1998)。多様(ヘテロ)な分野の専門家から構成されたチームの方が、多様でない(ホモ)集団より生産的という研究結果(Pelz, 1956, 1967)もあるが、逆に年齢や在職期間が違った成員で構成された集団では、生産性が低下したり離職率が高くなることもある(Pelled et. al., 1999)。多様な人種や民族で構成された集団の方が白人だけで構成された集団よりパフォーマンスが高くなるという研究(McLeod et. al., 1996)もあるが、パーソナリティが似ていて目標を達成することに一丸となっている場合の方がよいという研究(Bond & Shiu, 1997)もある。ヘテロな集団は、成員の能力や特性が多様であるために環境の変化に適応しやすく、革新性や創造性は高くなることは考えられる。一方、そのような集団は、集団的凝集性が低下し成員間の葛藤が高くなることもある(p.32)
多様であることはいいことだと僕らは盲目的に信じてきたが、意外とそうともいえない、或いは多様性が機能するのはある特定の状況における話であって安易な一般化が難しいというのが、この本からのかなり大きな学びだった。