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ドナルド・キーン著「足利義政と銀閣寺」を読んで

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IMG_1388.JPG 照る日曇る日 第607回 本邦の歴史上これほどにも政治的にも武人としても無能で、周囲に迷惑をかけた将軍が他にいただろうか。 父義満に倣って若き日には多少の政治的イニシアチブを発揮してはみたものの、細川対山名の戦国武将対決の修羅場からは逃げの一手で花の御所から東山に逃亡、国政の最高責任者たるものが万事を放擲して後に銀閣寺となる隠居所と庭園作りに精を出すのだから下々の者はたまったものではない。 細君の日野富子には終生頭が上がらなかったのはお笑い草だが、最大の問題は将軍職の跡継ぎ問題だった。三顧の礼を尽くして嫌がる実弟義視を無理矢理還俗させて新将軍に就けたにもかかわらず、富子との間に実子義昭が誕生すると悪妻の泣き落としに大いに動揺してうろたえる。 この動揺の間隙をついて浮上したのが細川山名2大勢力で、彼らは将軍職の相続争いを彼らの権力闘争に利用したのだった。だから不肖義政の家庭内問題の不始末が、京の都を完全に焼き払ったあの応仁の大乱を引き起こしたことになる。 ところがこの日本一の超無能男こそが現在の日本文化の美意識の大本を作った東山文化の創始者であり、住宅も庭園も茶も能の幽玄も水墨の絵画墨蹟もことごとく彼の教養と美意識の発露であったというのだから驚かずにはいられない。先進国中国の文化遺産を巧みに吸収、換骨奪胎しおおせた史上最悪の将軍義政は、著者がいうように、「すべての日本人に永遠の遺産を遺した唯一最高の将軍」だったのである。 余談ながら同時代の能役者世阿弥の蹉跌も後継者問題からであった。足利義政と同様彼も弟の子元重(音阿弥)を後継者に定めたのだが、その後誕生した実子元雅の父観阿弥を上回る天分に驚き、その動揺を悪将軍義教に衝かれて観世流分裂に追い込まれたとも考えられる。 政治、芸術、実業いずれの世界にあっても、今も昔もいちばん難しいのは後継者問題なのだろう。 震災で南に逃げた人々の気持ちは分かるが好きにはなれない 蝶人

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