<パウロはなおしばらくの間、ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレイアで髪を切った。(18節)>
誓願を立てていたパウロは、ケンクレイアで髪を切った。そして、プリスキラとアキラも同行しギリシャを離れ、アジア州の首都で貿易の中心地エフェソへと船出した。パウロはそこでも会堂に入りユダヤ人と論じ合った。そして、エフェソからカイザリアに船を向け、エルサレムに上ると、アンティオキアに戻り、第二次宣教旅行を終えた。
宣教旅行を決意したパウロは「ナジル人」の誓願(神に捧げられ、聖別された人)を立てていた。ユダヤ人は誰でも誓願を立ててナジル人になることができた。その誓願の継続中は酒を断ち、髪にカミソリを立てることも、死体に触れることも許されなかった。
エフェソに残ったプリスキラとアキラは、アポロという雄弁家が会堂で大胆に主の道を説くのを聞いた。彼は主イエスのことについて熱心に語り、正確に伝えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかったので、二人は彼を招いて正確に神の道を説明した。
アポロはその教えに導かれ、彼らが住んでいたコリントに渡ることを望んだので、手紙を持たせ送り出した。コリントについた彼は聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せていった。
コリントⅠの手紙で「わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると知らされました。『わたしはパウロに』『わたしはアポロに』などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか・・・」とパウロが教会員を叱責している。
パウロが去った後のコリントの教会にアポロが来て福音を説く。二人の話は同じことなのだけれど、聞く者の好み、環境、知識、心情によって受け取り方が変わってしまう。良くないことだけれどよくあることだ。そのようにすぐに歪んでしまうので、それを立て直す聖書が備えられている。
バラが好きな牧師がおられた。牧師は教会の庭で丹精込めてバラを育てられ礼拝ごとに教会員を楽しませておられた。それを見てある婦人が「バラを育てる時間があるなら、伝道に励み、病気の人を見舞うべきだ」と非難されていた。神はどちらもよしとされるだろう。
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